おめでとう。
初めて誰かからそんな祝福を受けたのは、一体いつのことだっただろうか。もうすぐには思い出すことも出来ないくらい遠い昔から、今日まで幾度と無く繰り返してきたけれど、いつだってそう言われる度に不思議な気持ちが胸に湧き起こる。
けれどもそれは、決して理解し難いとかそういった意味合いなどではなく。むしろ彼女は人々のそうした行為を、いつしかとても愛おしいと感じるようにすらなっていた。生まれてきたことへの感謝。それはとても健全な感情であるように彼女には思えた。人間とは時間というものが持つ概念が根本から異なる彼女たちの目からすれば、生まれた日のことを一年というサイクルに一度祝うというならわしそのものが、当初は幾分奇妙なものにも映ったものだが。
それでも、誰かが生まれた日のことを喜ぶというその心を、彼女は純粋に尊いと思う。たとえそれが、本当は彼女自身に向けられたものではなかったのだとしても。

今までにも、様々な形でそれは贈られて来た。色とりどりの花々や、美しい装飾品。或いは豪勢な食物から甘いお菓子まで。それは、あの革命が起こったのちも変わることなく彼らが今も『リーゼロッテ』という存在に向ける信愛の証であるかのようだった。彼の姫は、本当に今でもこの国の民に慕われているようだとまるで他人事の様にそう呟く彼女へ、エルエルフは若干眉をひそめたのちに静かに口を開く。
たしかにそうかもしれないが、少なくともそのうち大半の者が想う『リーゼロッテ』とは、今の彼女のことの方を指しているだろうと。そう言われて、彼女は一瞬ほんの僅かに驚いた様な表情を見せてから、ややあってどこかぎこちなく微笑んでみせた。それなら良いのだけれど……と、仄かに目尻を下げた彼女へエルエルフはそれ以上は何も言うことが出来なかった。
たとえ世界がどれほど変わろうと、その事実だけは一生彼女自身にも、そして彼らの間にも変わらず存在し続ける。ただそれでも、たったひとつだけ変わらなかったものがあった。だからこそ、エルエルフは今もここに居る。
自分の愛した存在は人間では無かったと、その事実を知ったときショックではなかったといえばそれは嘘になるだろう。実際、最初はすぐに信じることも出来なかった。けれど不思議と、想いそのものは揺らぐことはなかったので。結局、その為に生きてきた自分からすれば驚きこそすれあとのことは知ったことかと。実際そうした彼の態度には、さすがに向こうの方が呆気に取られていたけれども。
しかし、彼女の言うように本来ならば今日はあくまでも『リーゼロッテ』の誕生を祝うべき日であり、自分はそれを肩代わりしているに過ぎないのだと目の前の彼女が考えてしまうのは致し方無いことでもあるのかもしれない。ただ、エルエルフが知るのもまた『リーゼロッテ』としての彼女であり、彼にすればそれらを全て含んだ上でのリーゼロッテなのだ。だから、その生まれた日を彼女のこととして祝うことは何も矛盾していないし、違和感もない。そう伝えると、彼女はやはり驚いたように目を見張ったのち、何故だか少しだけ泣くのを堪えるかのような表情を浮かべた。
「……ありがとう」
それからリーゼロッテは、改めてそんなエルエルフと真っ直ぐに向き合いながらふとそれを口にする。――私が、私たちが、この世界に居るのを許してくれて。

そうするとエルエルフは、思わず顔を歪めずにはいられないのだった。けれども、すぐさまそんな彼女に向かい上手く言葉を発することが出来ない。かわりにただ、その場で拳をぎゅっと握り締めた。
許すとか、許さないとか。そんなもの、自分にはそもそもそのような資格すらない。自分はただ、彼女の隣に居られればそれで良かったのだ。……そのはず、だった。
けれどもこの先も彼らが一緒に生きてゆくとすれば、それだけではもう駄目なのだということは今ではエルエルフにもよく分かっていた。かつては、ただ攫うことだけで精一杯だった。でも真の意味で誰かを救うということは、本当はそんな簡単に叶うようなものではないのだ。それこそ、この先一生をかけて成し遂げないといけないくらいに。それはまだ、途方も無い夢のような話かもしれない。ただし、今の彼にはもう既にその覚悟がある。だから。
固く閉じられたその掌の上からそっと触れられて、エルエルフがようやく顔を上げた。すると、目の前ではいつしかリーゼロッテがそれまでで一番穏やかな笑みを浮かべていた。きっと大丈夫だと、それは彼女自身をも励ますかのように。
そしてそこでやっと、彼は本来一番に告げるべきその言葉を口にした。そのまま、添えられた手を強く握り返す。ひたすらその想いの丈の全てをぶつけ、伝えるかのように。
しばらくの間ずっと、そうしていた。


If You Were With Me Now
(リーゼロッテ誕生日/20140711)



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