今日までに幾度か尋ねられた、何か欲しいものはあるか?というその言葉にも、しかしながら今のエルエルフには咄嗟に思い浮かぶようなものなど特に何もないのだった。 けれどもそれが即ち、自分が欲の薄い人間だという訳ではないのだということを、本人が誰よりも一番よく知っていた。むしろ、本当に求めているものはそう易々と手に入りはしないものだと分かっているからこそ、恐らく自分は人よりも余程欲の深い人間なのだろうとすら思う。 そう呟いた彼を、しかしながらリーゼロッテは何故か敢えて笑ったのちに「…成る程、だから貴方は強いのですね」と、どこか納得したように口にされてますます眉を顰める。 己の望みを自覚しているが故、ひたすらに突き進むことの出来るその姿はいつだって若々しく真っ直ぐであったと、まるでその当時を憧憬しながら語られても尚、エルエルフにはそれは買い被りであるようにしか思えてならなかった。一途などといえば響きはいいけれども、所詮はそれだって単なる執着の成れの果てなだけかもしれない。たしかに、ある局面に於いては強みとなることも有り得るかもしれない。しかしだからこそ、同時にそれはどうしようもないほどの彼自身が抱える弱さでもあるのだ。かつて同じことを言われた際もやはり否定したが、今日に至ってもその想いは変わらなかった。 もっとも、それすらも何とか受け容れられるくらいには今の自分は立ち直ることが出来たのだけれど。 その証拠に、彼女の夢をみたのは本当に久しぶりのことだった。ただ、それがよりにもよって今日だということには我ながら流石にどの口が言うのかと半ば呆れてしまいそうになったが、まるでそんな彼の内心を見透かしたかのように彼女は笑ってそれを肯定するのだった。 たぶん貴方は、もっと素直に自分の望みに従って生きても良いはずだと、諭されるように言われても果たしてそうだろうかと首を傾げざるを得ない。自分をそのように謙虚な人物像だと捉えている者の方が少ないであろうことは容易に想像がつく。けれどそれも、あっさり向こうからそれとは少し意味が違うのだけれどと苦笑された。こちらを見つめる眼差しは相変わらず穏やかだ。その眩しさに、いつだって自分は結局目を細めることしか出来ずにいる。 やはり夢の中でも、いつだってその存在は光そのものだった。かつての自分はそれをどうにか救おうとして、けれども結局のところそれは叶わなかった。ただ、それでもそんな記憶ですら一生忘れたくないと願ってしまうくらいには、失う方が却って苦しいことのようにエルエルフには思われるのだ。たとえそれが、どんなに酷く苦いものであるのだとしても。 今の自分を取り巻くこの世界が、決して辛いわけじゃない。 それでも、これまで積み重ねてきた幾つもの記憶のうちの一欠けらですら、自分は未だ手放すことを躊躇している。 しかし彼女はそれを、柔らかく受け止めたのちに告げたのだ。同じ世界を生きれなくても、自分はいつだってそう願い続けるだろうと。 ――たとえば、雨が降り注ぐときは少しでも優しく、風が吹けばなるべく心地良いものであればと。 貴方がこれから歩んでゆく人生の一瞬一瞬が、なるべく多くの幸せで満ち溢れていますように。 それは、紛れもなく祈りそのものだった。 牧師のような立場ならばともかく、そんな風にただ誰かの為に何かを祈る姿を目にすることだなんて、きっと滅多にないことだろう。 そこでようやく差し伸べられた掌と言葉が、今度こそその想いを彼の元へ届ける。 「おめでとう」 それはきっと、今日この日にこそ相応しい祝福だろう。 |
アナザー・ワールド
(エルエルフ誕生日/20140525)