まだ彼らが出逢って間もない頃のことだ。
「やあ」
なるべく友好的にみえるよう、極力穏やかにチャックは話し掛けた。
「…」
ジャックは口を閉ざしたまま、目だけでそれに答える。彼はその身のうちに狂気を潜めた人間ではあったが、性格は温厚な部類に入る。しかし、それがイコール愛想もいいとは限らない。
チャックは、ジャックのそんなそっけない態度を特に気にする様子もない。とりあえず彼は、その沈黙を肯定として受け止めることにしたようだ。「少し、いいかな?」
「…」
相変わらず返ってくる答えは沈黙のみ。しかしながら、その眼光に宿る気配が僅かに不穏なものへと移り変わるのに、彼は勘付いていた。
「そう警戒しないで。何もとって喰おうってわけじゃないんだから」
そしてそこに「君と違って」と加える。
ああ、もっとも君の場合は切り裂き専門だっけ。そのナイフで。
そんな、フォローにもなっていない言葉を続ける。するとすぐさま、チャックへと向けていたジャックの視線に一層危険な香りが滲み出す。
「だから、そう敵愾心を剥き出しにしないでくれよ。そういう態度を前にすると、僕だって『ついつい』挑発したくなっちゃうじゃないか」
チャックは肩をすくめる。
もっとも、僕は君がその手のナイフを握る前に、その腕ごと撃ち飛ばせるけどね。
そうして、またもこちらが聞いてもいないような言葉を付け足す。
だったら自分は、撃たれた腕をお前の方へ吹き飛ばしざまその身体ごと切り裂いてやるよと思ったが、ジャックはそれを口には出さなかった。
「…やめよう。こんな馬鹿げた言い合いをしたくてわざわざ話し掛けたわけじゃない」
会話が平行線を辿るのを今更ながら危惧したのか、ようやくチャックはそう言ってこの一見無意味な会話を打ち切った。
(だったら、何を)
それをまた、ジャックは言葉にせずに目で問い掛けてやる。そうするとようやく、チャックはその口火を切るのだった。
「"彼女たち"の話を」
彼女たち。チャックの言わんとすることが、そこでようやくジャックにも思い当たった。
まず真っ先に脳裏に浮かんだのは、彼の主でもあるオレンジの髪の少女。
続いて、目の前に居る相手の主でもあるブロンドの少女の姿。
要するにこの男は、最初からその話をするつもりでこんなところまでわざわざ出向いてきたのだという。ご苦労なことだ。
「どうしてそんなことを俺たちが話し合う必要があるんだ」
ただ、それでもジャックはすぐさまその訳を理解したわけではない。彼にしてみれば、逆にチャック相手にそんなことを話そうとも思いもしなかったのだから。
そんなジャックに向かい、チャックはさも当然のように口にする。
「もちろん、僕の仕える主――マリオンにとって、彼女たちがどんな人間であるのか、知る必要があると思って」
僕は、彼女の持ち霊だから。
微かな笑みさえ浮かべながら呟く。
「…だから?」
試しに、ジャックはその先をも促してみる。
けれども、チャックはそれには答えようとはしなかった。代わりに、またジャックの方へ一方的に問い掛ける。
「そもそも、君たちはどうして出逢ったの?」
少々意外なところへ話の矛先を向けてきた。そのことに対しては、ジャックは若干不意を突かれたように目を丸くしたが、別段答えてやるような義理はない。
大体、そんなことを話して何になるというのだ?
チャックの意図を掴めずにジャックが沈黙を守っていると、またも彼の方から勝手に語り出してくれた。
それは、自分の知らない彼の主、マリオンの出生から今日に至るまでの話だった。そして、一体どこから聞いてきたのか、彼女たちのもう一人の仲間である、カンナについてまでも。
「あの二人は、随分と境遇が似ているんだ」
チャックは言う。酷似している、といってもいいとまで。
彼の話を要約すると、こういうことらしい。
マリとカナの類似点。幼少時から既に非常に優れたシャーマン能力を持ち合わせていたこと。そして共に実の両親には愛されていたこと。しかしながら、その両親亡きあとはその立場を追われる身となったこと。
片や裏社会の代名詞ともいうべきマフィアのボスの娘。一方は分家といえどドイツ名家に生まれ育った深窓の令嬢という違いこそあれど、たしかにジャックの目からみても、この二人の少女には共通点が多いようにみえる。
「でも、君の主人は若干出自が彼女たちとは違っているみたいだ」
そう告げるチャックに、ジャックの眉がぴくりと反応する。
その様子を伺うに、どうやらチャックはマチルダの過去まで、既に知っているようだった。たしかに、彼の語った話によれば、ジャックの知る限りのマチルダの過去は、他の二人に比べると多少異質なものであるかもしれない。
マチルダは実の親から幼い頃に捨てられ、そんな彼女を拾った血の繋がらない年老いた魔女の手によって育てられたという。マリオンやカンナが、のちに裏切られはしたものの、初めは愛され育てられた環境であったのに対し。
彼女は生まれたときから既に異端者として扱われ、生きていた。
もちろん、育ての親である優しき魔女はマチルダを愛し、慈しんだであろう。だがその魔女も、最後は彼女自身を排する者の手により、利用されるだけ利用された挙句に見捨てられてしまった。そしてその異質な存在に対する排除は無論、マチルダ自身にも及んだことだろう。
「…マチルダは、普通だ」
そこで、ついにジャックはそう反論してしまう。彼がしまったと思ったときには、もう口をついてしまっていた。無意識だった。ただ、目の前でチャックが訳知り顔に彼女のことを語っているのを聞いているうちに、どうしても黙っていられなくなったのだ。
「うん、そうだね」
しかし、こちらの予想に反し彼はあっさりとジャックの言葉に頷いてみせた。
「彼女たちを"魔女"などと祀り上げたのは」
愚かな一部の心無い人間たちだ。
そう語るチャック自身が、誰よりもそのような輩に対する憤りを禁じ得ない、というように振舞うのも、ジャックは意外に思えた。
そして、
「そんな、境遇はそれぞれ多少異なれど、同じような迫害を受けてきたからこそ彼女たちは分かり合えるのかもしれない」
チャックはそのように述べた。
それは、ジャックにも分からないでもない。マチルダは、昔のこともあり基本的に他人と馴れ合うような真似を好まない。そしてそれは、他のマリオンやカンナにとっても同じ事。しかし、そんな三人もお互いに対してだけは、不思議な親近感のようなものを感じているようだ。特に過去を詮索し合うような事は決してしないけれど、自然と何も口にせずとも伝わるものがあり、どこか安心感すらもたらしてくれる。
それは心地良くもあるが、同時に言いようのない、やり場の無い想いをも彼女たちへ与えることにもなる。
そしてそれに薄々気づきながら。それでも、彼女たちはこの先も行動を共にするしかないのだ。
「本人たちも、それが本当は単に傷を舐め合っているだけなんだと、心のどこかでわかっていながら、ね」
「…」
よもやそれは、彼女たち三人が忠誠を誓う相手――ハオが、そうなることもはじめから全てわかった上で、敢えてあの三人でチームを組ませたのだろうか。だとすれば、随分皮肉なものだとジャックは思う。
それではまるで、彼女たちの心が読めるようではないか。
ジャックはときどき、ハオ相手にそのような空恐ろしさを覚える。生前あれほど恐怖で世を震撼させた彼ですら、あの男にだけは決してその刃を向けることはないだろう。生粋の殺人鬼でもある己の本能が告げている。"あれ"だけはやばい、と。いくら自分でも、あそこまで逝った者はさすがに手に負えない。
そしてそれは、彼の他の仲間たちに手を出すのも同じこと。故に、ジャックは今もチャックを相手に下手に行動を起こすような真似は出来ずにいる。
しかしながら、チャックがさきほどから何を言いたいのか、その真意はいまいち計りかねるものがある。ジャックが訝るように目をやると、チャックは静かに口にした。
「それでも…僕らには何も出来ないから」
それはどこか、諦めを伴うかのような口調。
たしかに、肉体を持たない彼らに出来ることは少ないであろう。だが、そんなことを伝えたいがためにこの男はわざわざ自分にこんな話をしたのか?
ジャックが尚も疑惑の目を逸らせずにいると、チャックの口から思いもよらぬ言葉が飛び出した。
「君はまるで、彼女に恋でもしてるみたいだ」
「…!」
唐突に。
何の前置きもなくチャックは淡々とそれを口にした。
ジャックは、何故彼にそれが分かったのかということよりも、そんな話題を敢えて本人に向かい口にするチャックの神経が分からなかった。だが、チャックはそれ以上このことに関して言及するつもりはないらしく、今度はカンナの持ち霊であるアシュクロフトについて話し出した。
「でも、あの老人は違うね。彼は文字通り、主君である彼女に忠誠を誓っている。騎士道精神…まあ、いささか歪んだものではあるみたいだけれど」
チャックは自分で言いながら苦笑している。もっとも、それについては異論を挟む余地はないので、ジャックは引き続き黙っておく。
「あれは、たしかに主には従い、女性を守るという務めは充分果たしている。でも、それだけだ」
「…お前とは違う、と?」
その言い方に若干引っ掛かりを感じて、ジャックが口を挟む。すると、またもや意外にもチャックは即答する。
「そうだね。むしろ…どちらかといえば、君の方に近いかな」
チャックは、こちらをじっと見つめるジャックの丸く見開かれた瞳を覗き込む。
――そういえば。ふとした考えが脳裏を過ぎった。マリとマチ、彼女たちは愛称もよく似ている。さきほどはカンナとマリオンの方がより境遇が似通っているという話はしたが、よくよく見比べてみると、なんとなくチャックとジャック、その互いの持ち霊としての自分たちの名前までもが、偶然か否かそっくりではないか。
「…どちらにせよ、それすらむなしいことには何ら変わり無いだろ」
しかし、ややあってジャックの口から漏れたのはそんな一言だった。
それは淡々とした事実を述べるようで、確実にそれまで彼らの間に漂っていた、一種の奇妙な連帯感を、一瞬にして払拭するだけの響きを伴っていた。それには、チャックの方が少し驚いたように瞬きを繰り返していた。
が、やがて静かにその瞼を閉じると
「…ああ、そうかもね」
「不毛だ」
「たしかに」
ジャックの台詞にただただ頭を垂れる。
「…それに、」
少しだけ間をおいて、ジャックがきっぱりと宣言した。「俺は、お前とも傷を舐めあうつもりはない」
その冷静な声は、完璧な拒絶を伝えていた。
「………ああ」
僕が悪かったよ。
そう言って、チャックは潔く彼に白旗を揚げた。さすがは、『二番目のジャック』の異名をとるだけのことはある。
完膚無きまでに。ばっさりと。切り捨てる。
それは、もはや賛辞にも等しい。チャックは最後に、賞賛を込めてそう口にした。


堕天使たちのバラッド
(チャックとジャック/20090315)



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