波に乗り、海原を渡る。その日課はこのライオコット島へ来てからも変わることはなかった。綱海はその日も、サッカーの練習を終えたのちにいつもの浜辺へと向かう。だがその途中で、見知った顔を目にした綱海は思わずそちらへ声を掛けた。
「そんなところで何してんだ染岡?」
呼ばれた相手が、一瞬だけぎくりと肩を震わせたのちに
「何だ、綱海か…」
と肩越しに振り返る。ふと目をやれば、染岡の足元にはいくつものサッカーボールが転がっていた。
「もしかして、あれからまだ練習してたのか?」
つい先ほどまであれほどの練習をこなしたあとだというのに、場所を変えて未だに一人特訓を続けていた様子の染岡へ、綱海が思わずそんな風に零す。
「…悪いかよ」
どうやらあまり人には見られたくなかったのか、染岡が仏頂面を浮かべながら呟くと
「いや、別に?お前らしいなあって思っただけだ」
あっけらかんとそう言われた。そんな綱海に、染岡は少し面食らう。日本代表としてここへ来てからというもの、染岡の努力ぶりは綱海も充分承知していた。一方の染岡は、これまでの綱海の一見軽いノリから、そういった汗臭い行為とは無縁であるように思えたので、存外素直に感心するような反応を返されたのが少しばかり意外だった。そこでふと気が抜けたのか、染岡はやや肩の力を抜きながら
「まあ…今のうちにやれることはみんなやっておきたいからな」
と思わず呟く。そう、今の染岡にとっては一分一秒も惜しかった。当初は代表から外れ、その後努力の末にようやくチームに加わった染岡にとって、この仲間たちと共に戦えるあいだに、一つでも多くの試合に出ること、そして何より勝ちたいという気持ちが人一倍強かった。そのためにも、出来る努力は何でもする。
が、そこで不意に蘇ったのが、かつて言われたことのある『汗臭い』という一言。それでつい苦い顔を浮かべてしまった染岡にも、目の前の綱海は「わかるぜ、染岡」と同意まで示したのちに、いつもの 「でもそんな悩み、海の広さに比べればちっぽけなことだぜ!」
という台詞とともに笑い飛ばした。その勢いに染岡も思わず「あ、ああ…」と頷いてしまう。
「…それに、どうやら頑張ってたのはお前だけじゃなかったみたいだしな」
「え?」
綱海はそう言うなり「おーい、飛鷹!」と、いつのまにか染岡たちの後ろを横切ろうとしていた影に向かい声を掛ける。そちらに目をやれば、飛鷹はサッカーボールを片手に、いかにも今から特訓を始めようかという様子だった。彼もまた、そんな姿を二人に見つかったことに最初は驚いていたが、綱海に手招きされて渋々ながら二人のところまでやって来た。
「飛鷹もこれから特訓か?」
「まあ…」
綱海に問われた飛鷹は一応首を縦に振ったものの、これまたどこか浮かない様子だ。それでも気にせず
「そっか、お前も実は影で努力してたんだな」
見直したぜ、と綱海がそう言ってみても、飛鷹は「別に…」と気のない返事。しかしそれは別に、謙遜や照れ隠しだけではなかった。また飛鷹には、かつての自分にサッカーを教え、そして導いてくれた恩人でもある響木に報いたいという思いもある。しかしそのことを思うと同時に、ついこないだまでサッカーに関して全くの素人であったような自分が、日本代表で良いのか…?という疑問が今でも湧き上がってきてしまうのだった。
しかし意外なことに「わかるぜ、飛鷹」と、やおら綱海が腕組みしながらうんうんと頷く。かくいう綱海も、かつてはサッカーなど全くやったこともなかったという点に関しては同じだ。けれども、綱海はそんな飛鷹へも例のお決まりの
「でもそんなこと、海の広さに比べればちっぽけなことだぜ!」
という一言によって、あっさりいなしてしまう。それには、さすがの飛鷹も「フ…」と苦笑を浮かべるしかなかった。
「…さっきからうるせえな」
そこで、やおら茂みの方から悪態を付ながらひょっこり不動が顔を出した。一体何がそんなに気に食わないのか、全身から不機嫌そうなオーラを漂わせている。
「人がせっかく休んでたところに騒ぎ立てやがって…やるんならどこか余所でやれよ」
どうやらこの近くで一人休憩していたらしい不動は、その邪魔をされたのがよほど気に食わなかったのか、わざわざ綱海たちへそんな憎らしげな言葉を口にする。染岡と飛鷹は揃って
(だったら、いちいち絡んだりしてこないで黙ってどこかへ行けばいいのに…)
と思ったが、何だか面倒臭そうな気配を察したのか珍しく二人揃って黙っていた。不動はそんな態度にますます苛々を募らせる。こいつらとサッカーをやり出してからいつもこうだ。元来、チームプレイであるサッカーで敢えて一人拘る不動(本人はそれを自分にはお似合いだと思っている)にとって、彼らの今みたいなやり取りは気に障らざるを得なかった。
だがそんな不動にも
「なんだかよくわかんねえけどよ〜不動」と漏らしたのちに
「そんなの、海の広さに比べればちっぽけなことだろ?…たぶん」
綱海の口からは、他の二人よりも随分と適当な口調でそう返されてしまった。おかげで不動はますます苦虫を噛み潰したような表情で「…チッ」と舌打ちする。
「けどみんな色々と小さいことで悩んでんだなあ」
改めて綱海がしみじみと漏らせば
「そうだな…お前は悩みなんてまるでなさそうだもんな」
不動がそんな嫌味を返しても綱海は
「そんなことねえよ、これでも魚の値段とか波のこととかでは日々悩んでるんだぜ〜」などとあっさり流されてしまう。
しかしながら、一方で染岡や飛鷹が言うのもわかる。たしかに、ここライオコット島での試合ももう残りあとわずか。それはすなわち、このチームのみんなとサッカーが出来るのも、もうあと少しの間ということになる。彼ら仲間たちとのサッカーは本当に楽しい。出来ることならば、このままいつまでも一緒に続けたいものだけれど…。
珍しくも、そんなセンチメンタルな気分に耽りかけた綱海に思わず染岡と飛鷹は目を見合わせる。それから何故か二人は苦笑を浮かべたのちに、両側からその肩に手をやる。
「分かるぜ、綱海。でもそんなこと」
「『海の広さに比べればちっぽけなこと』…だろ?」
綱海の十八番を、今度は染岡と飛鷹が交互に口にする。
「みんな…」
綱海は、感極まったように打ち震えた後
「くっ、何だか今日ばかりはオレも海じゃなくフィールドに出たくなってきたぜ…!」
そしてまるで彼らのキャプテンを思い起こさせるかの如く「よし、それじゃあ今からまたサッカーやろうぜ!」と言い出す綱海に、染岡と飛鷹が揃って「おう!」と応じる。
「なんなんだ、あいつら…」
そうして、浜辺へと駆け出して行く三人の背を、不動が一人遠い眼差しで見送っていた。そのモヒカンの間を、冷たい風が吹き抜けていく。


Bad Boys Brother’s Blues
(B4組/20120212)



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