それは、ある日突然訪れた。
「あれ?」
先に違和感に気付いたのはサチの方だった。「どうしたの、サッちゃん」
彼女の様子に、センジュとジゾウが同時に振り返る。サチの視線は、センジュの方へと一心に注がれていた。そうして穴があくかと思われるほどじいーっと観察したのちに「もしかして…」と前置いて彼女は呟く。
「センジュ君、縮んだ?」
『へ?』
呆気に取られた二人の声が見事にハモる。
「縮んだ、って…」
困惑気味なセンジュへ、ようやく我が意を得たりとばかりにサチは詰め寄る。
「そーよ。だって変だもん。ついこないだまで同じくらいの目線の高さだった筈なのに、最近急に…」
そこで、ふと彼女は言葉につまってしまう。サチが急に押し黙ってしまい、センジュは不思議そうに首を傾げる。その隙に、隣で一人何か考えて込んで様子のジゾウが顔を上げるなり「ああ、それはひょっとすると…」と口を開いた。
「ミロク様が成長されたのでは?」
その口からもたらされたのは、彼女が思ってもみなかった一言だった。
「………え?」

*

考えてみれば、それは当然のことなのだ。
皆から離れて一人、日の暮れかけた空の下で膝を抱え込みつつサチは思いを馳せる。
「ああ、そっかー。そういえば最近サッちゃん背伸びたもんね」
どうりで〜と、ジゾウの話を聞くなりセンジュは呑気にそう言った。一方、
「というより、大人びてこられましたね」
「え?」
横から、ジゾウがそんなセンジュの言葉を訂正する。
「うんうん。本当におキレイになられて…もう立派な大人の女性ですな」
「えっえっ?」
すると、釣られるようにどこともなくから姿を現した大栄までもが口を揃える。しかしながら、両脇からそのように詰め寄られてもサチは困惑することしか出来なかった。
そして、戸惑う彼女を尻目にジゾウが更に言い募る。
「一方の我らは、仏とはいえあくまでも霊。そのような外見の成長とは無縁ですからね」
「…」
つい先程交わした会話を思い出し、サチはますます膝に顔を埋める。
そう。いずれはこんな日がくるのは、最初からわかっていたはずだ。なのに…。
彼らと自分は違う。
日々成長してゆく自分と、永劫の時を歩む彼ら。
一緒にいた時間が長過ぎたのか、いつしかそんな当たり前のことすら、すっかり忘れてしまっていたのだ。
「…変なの」
あーあ、サチはそう言って両手を天へと真っ直ぐに伸ばし、んーっとその場で大きく伸びをする。
「昔はあんなに早く大人になりたい、って思ってたことだってあったのに」
そして、そのまま地面に仰向けに寝転がる。「なんでだろ。今、ちっとも嬉しくないや…」
いま彼女の心を占めているのは、幼い頃に憧れた成長を喜ぶものではなく。
(そう、むしろ…)
どこか、寂しさにも似たような複雑な想いで。

「サッちゃーん!」
そこで不意に、そんなサチの思考を遮るような声が辺りに響き渡る。サチが慌てて自分を呼ぶ声のした方へ振り返りながら身を起こすと、こちらへ駆け寄ってくるセンジュの姿があった。
「こんなところにいたんだ。随分探したんだよ」
彼は手を振りながらすぐ傍までやって来ると、「どうしたの?急にいなくなったりして」
みんな心配してたよ、そう言いながら自分もまた気遣うようにサチの様子を伺う。サチもまた、自分を見つめるセンジュを見返す。
(ほら、今も)
やっぱり、さっきと同じ。
年齢を重ね、いつしか成長してしまった――そしてこの先も成長を続けていくであろう――自分に対し、彼は出会った当時とまったく変わらぬ姿のままでいる。
自分だけが、彼を置き去りにして大人になっていく。さらに、もっとネガティブな言い方をすれば、年老いていくのだ。この先、彼女が今よりもっと大きくなって、本当に少女から大人へと変化していく中でも、彼だけはいつまでもずっと変わらず今のままそこに存在するのだ。
それはとっくに知っていたはずのこと。
けれど、いざ現実に形として突きつけられてしまうと、咄嗟にその事実が受け止めきれない。
「…?」
けれども、そんなサティの内心など何も知らないダイニチは、何故か浮かない様子の彼女をいつものように気遣いながら、優しく微笑みかけるだけ。いつもは、思わずこちらの心も和やかにしてくれるはずのその笑顔が、いまの彼女の瞳には少しせつないものみたいに映る。
こうしている今だってそう。前は、向かいあえば自然に合ったはずのお互いの目と目が、今はすれ違ってしまう。もう、真っ直ぐに向き合うことはないのだ。決して、時が戻らないのとおなじように。
「…サッちゃん?」
(…あ)
初めて会ったときと同じ声、同じ顔で名前を呼ばれて。
それまで必死に耐えていたはずものが、こらえきれずに外にまで出ていってしまいそうになっていた。
(どうしよう、なんか、ちょっと)
サチはたまらずその場で俯く。でないと、すぐにでも溢れてきてしまいそうだったから。
(泣きそう…)
「どうしたの?」
「!」
だしぬけに、ひょこっと覗き込んでくる顔。咄嗟に目が合い、驚きで目を見開くサチを、センジュは真っ直ぐな眼差しを向けながらすぐ近くで見守っていた。
「ん?」
そうしてちょっと首を傾げる。口元は微かに緩んでいる。
「…」
視線を逸らすことも出来ず、かといってこうもじっくりと見つめられてしまうと、さすがにサチも少しずつ自分の頬が赤くなっていってしまうのを感じていた。
「サッちゃーん?」
どうしたの?なんて。
相変わらず目の前の彼は惚けた質問を繰り返す。
(…これだもの)
そんなセンジュを見るにつれ、サチの心も徐々に解れてゆく。開き直る、といってもいいかもしれない。
(結局、一人でうじうじ悩んでたってしょうがないのよね)
結果、こういう考えに至るのも、いわば自然な流れだったのかもしれない。
彼女はおもむろに人差し指でおでこの辺りを指しながら、「んー」と思案のポーズを取ると、一人もの思いに耽る。
「やっぱりあたし、早く悟らないとなあ」
(まだまだ、その域までは辿り着けていないけれど)
改めて、じいっとセンジュの方を見つめるサチ。
「?」
どうやらさきほどから何らかの決心をかためている様子だが、センジュにはいまいち状況が把握できていないようだ。
(でも、いつか。それすらもみんな、ありのままに受け入れて。それでも、笑っていられる日がくるのなら)
「修行って厳しいね…」
しみじみとそんなことを漏らす彼女に、一応調子を合わせつつもやっぱりよくはわかっていないのか
「なんだか大変そうだねえ」
センジュのその言い草はまるで他人事といった様子だった。たまらず
「…誰のせいだと思ってんだか」
「え?」
サチの口からぼそっと本音が零れるが、彼女自らすぐに「何でもない」とうそぶく。

「…ねえ」
それでも、最後にふとどうしてもひとつだけ聞いてみたくなって、彼女は口を開いた。「ひとつ、聞いてもいい?」
しかし、さすがに面と向かって言うのは少しだけ恥ずかしいので、軽く目を逸らしながら口にする。
「いつか、あたしのことは自分が守りたいってゆってくれたことがあったよね」
遠い日の、大切な記憶を呼び覚ましながらサチはその一つ一つの言葉を丁寧に紡いでいく。
「今も…そう思ってる?」
言って、ようやくセンジュの方へ振り返る。目が合った瞬間、二人の間を一陣の風が強く吹き抜けていった。
その風がおさまったのち、ややあってゆっくりとセンジュが口を開く。
「…ええと、ごめん。何だっけ?」
たまらず、サティはその場でコケそうになった。何とか踏みとどまったものの、そのあまりの間の抜けっぷりには力無く肩を落とすことしか出来ない。
(まあた、人の話聞いてないし)
こちらがあれだけ勇気を振り絞ってわざわざ口にしたというのに。相変わらずなその態度には、今となってはもはや怒りすら湧いてこない。サチは呆れつつも、でもま・それも彼らしいか、と笑う。
「さてと。それじゃそろそろ戻りましょうか」
みんな心配してるだろうし。気を取り直した彼女は、そう言って踵を返す。
「うん」
そのあとを追うようにして、歩き出したサティの少し後ろから、ダイニチはその背中に向かって小さく呟く。
「…ずっと、思ってるよ」
誰にも聴こえないように、そっと。
「ん?なに、今何か言った?」
「ううん。別になにも?」
一度だけ肩越しに振り返ったサティに向かい、ダイニチはそのようにいけしゃあしゃあと首を横に振った。今はまだ、伝えるべきときではないと思ったのか。その答えは、二人の間を過ぎ行く風の中にしかないのだった。


風吹かば
(サチとセンジュ/20090315)



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