「遊園地?」 聞き慣れぬその言葉に、居合わせた超魂團の面々は顔を見合わせた。そんな彼らに慶喜が改めて説明する。 今度、外交政策の一環としてかのアメリカ本国でも人気があるという娯楽施設(テーマパーク)を、ここ日本でも建設することになったということ。また、その事前披露(プレオープン)のイベントに自分を始め、超魂團のメンバーも招待されたということを。 因みにこの一件の首謀者は勝だ。慶喜が大政奉還した後も彼は新政府の要人として活躍しているが、こちらを気にしてくれているのかこうして時折わざわざ声を掛けてくれる。恐らく、自分一人で放っておくとまた引きこもってしまうのを心配されているからというのもあるのだろうが。 致し方ない事情とはいえ、長年幽閉生活に近い環境で過ごしてきた慶喜にとって、人ごみに出るのは未だに苦手な部類の事だった。それでも、龍馬たちの雷舞にはなるべく足繁く通うようにしていた。今回、勝が慶喜だけでなく彼らにも揃って声を掛けたのも、その方が自分がより気兼ねせずに済むだろうという気遣いなのだろう。 そんな話を聞くなり、真っ先に龍馬が「おお、そりゃあ楽しみぜよ!」と声を上げた。 彼らが招待されたのは、開園前日の夜だった。ひとまず当日は現地で待ち合わせようということになり、その場は別れた。 遊園地かあ…。 はたして、それはどのような施設なのだろう。かつて一度だけうっすら聞いたことのある話を思い出す限りでは、なんだか夢の国みたいなイメージだけれど。 一人あれこれとそんな想像を膨らませながら、慶喜はその日を迎えた。 待ち合わせ時間の少し前に入口へとやって来た慶喜を出迎えたのは、遊園地のマスコットキャラクターを模した着ぐるみだった。その姿かたちからして、どうやらネズミをモチーフにデザインされたキャラクターのようだ。 「お待ちしておりました」 着ぐるみは、その愉快な見た目とは裏腹に、遠い昔どこかで聞いたことのあるような妙に低く落ち着いた声色でそう告げると、慶喜へ手にした風船を手渡しながら丁寧にお辞儀をする。 「他のみなさんは、もう一足先に中の方で楽しまれております」 そちらまでご案内しましょう、と促す着ぐるみがそっと目の前に手を差し出す。一瞬だけきょとんとするも、慶喜は素直に掌を重ねた。そのまま導かれるように手を引かれながら、慶喜はその中へと足を踏み入れた。 みたこともない遊具、夜ということもあり沢山の光で煌々と照らし出された園内は、どこを見渡してもまさしく夢のような世界だった。 やがて慶喜は、とある乗り物の前でふと足を止めた。 いくつもの箱状の籠が、巨大な円を描きながらゆっくりとしたスピードで延々とくるくる廻っている。 「一体これは何?」 思わず先を行く着ぐるみに問いかけると「ああ、これは観覧車ですよ」とすぐさま答えが返ってきた。 「観覧車?」 「何でしたら、一度乗ってみますか」 突然の提案に、戸惑う慶喜の横をすり抜けて着ぐるみはそちらへと向かう。龍馬たちを待たせていることが多少気がかりではあったが、何故かそのときは不思議と好奇心が勝った。それに、いつもなら自然と湧き上がるはずの警戒心や恐怖心といった感情が、その着ぐるみを前にすると殆ど湧いてこなかった。そのどこか懐かしさを感じさせる口調と応対は、慶喜をいつしかすっかりと安心させてしまうのだった。 入口を開けたまま待ち構えていたその箱の中へ、慶喜は躊躇いなく足を踏み入れる。 「どうぞ、ごゆっくりお楽しみ下さい」 最後、別れ際に着ぐるみがそう言って恭しく首を垂れる。それを合図に、慶喜を乗せたゴンドラがゆっくりと上昇を始めた。 「わあ…」 高さが上がるにつれ、目の前に広がる夜の町を見渡しながら慶喜は歓声を上げた。こんな風に自分の住む町を一望するのはこれが初めてだ。光に溢れた園内とは対照的に、町の方は夜の静けさに満ちていた。 やがて、ゴンドラが頂上付近に差し掛かろうかという辺りでちょうど慶喜は視界の先に巨大な城の姿を捉えた。――二条城。かつては自分が住まっていたところだが、もはや今となってはそれも懐かしい。 それから何気なく、慶喜が天守閣の辺りを眺めていたときのことだった。その露台に、そこに決しているはずのない者の姿を目にして慶喜は思わず息を呑んだ。 「え…?」 その途端、一斉に周囲の照明がまるで舞台が暗転するかのように掻き消えた。そしてそのまま、慶喜はその意識ごと闇に包まれた。 * 「…さま、慶喜様」 そっと肩を揺すられて、はっと目が覚めた。 慶喜が慌てて振り返ると、そこには直弼が佇んでいた。どうやら自分は今、二条城にある自室でうたた寝してしまっていたようだ。 「お疲れでしたら、今夜の散策はやめておきますか」 「え…」 そう問われて、慶喜は咄嗟に頭を巡らす。 ああ、そうだ。そういえば今夜は徳川園の視察の日だっけ。 徳川園というのは、徳川幕府が運営する巨大娯楽施設で、今やこの体制を支えるのにも欠かせない事業の一環にまでなっている。そこで、今度から夜間営業(ナイター)も始めることになり、今宵はそれに先立つ試験運営を行うことになっていたのだ。 慶喜自身がそれを楽しみにしていたこともあって、腹心である直弼がわざわざ気を利かせて誘ってくれていたというのに。 一体どうして、そんな大事な日に自分は眠ってしまっていたのだろう。 たぶん、あまりに楽しみすぎて昨夜なかなか寝付けなかったせいかもしれない。そんなことを考えながら、慶喜は急いで身を起こしながら 「大丈夫だよ」 だから、早く行こう。 逸る気持ちを隠そうともせずに歩き出す慶喜へ、直弼が苦笑しながらも付き従う。 しかしながら、このとき慶喜の心が急いていた本当の理由は、おそらくそれだけではなかったのだ。 「わあ…!」 光に包まれた園内を見渡しながら、たまらず感嘆の声を漏らす慶喜の様子に直弼も満足そうだった。昼間には幾度となく訪れたことはあったけれど、夜ではまた全然違った雰囲気がある。慶喜お気に入りの回転木馬も、きらきらとした明かりを纏いながら廻っている。 そこでふと、慶喜は傍らの直弼に向かい 「ねえ、今夜は直弼も一緒に乗ろうよ」と誘った。 直弼は一瞬驚いて目を見張るが(いつもは大抵慶喜が乗っているのを外から眺めている立場だったので)、慶喜はあくまでも自然と、しかしどこか有無を言わせぬようその手をそっと取りながら 「ね?」 その目を覗き込みながら再度促す。すると、直弼は何かを悟ったかのように一度瞼を伏せたのち 「…わかりました」 と素直にその申し出を受け入れた。 「…しかしながら、さすがに一人乗り用の馬に二人で腰かけるのは、些か窮屈ではありませんか」 「そう?」 作り物の木馬に跨りながら、その腕の中で慶喜は首を傾げた。 「けれど、前に本物の馬に乗ろうとしたときは一緒に手綱を握ってくれたじゃない」 そう、以前何かの折に乗馬の心得を教えられたときのことを回想する。その際も、慶喜は本当に直弼という男は何でも熟してしまうのだなあと感心したものだが。 やがてゆっくりと上下に動き出した木馬に揺られながら、慶喜は改めてそんな彼の姿を見上げた。 「どうかなさいましたか?」 その視線に気付いた直弼から優しく尋ねられるが、慶喜は小さく「ううん」と首を振った。――今はまだ良いと、そんな風に思いながら。 一通り園内を巡ったところで、最後に慶喜は観覧車を指さしながら「一緒に乗りたい」と告げた。 構いませんよと応じる直弼と共にひとつのゴンドラの中へと乗り込んだのち、向かい合わせに座ったままの二人はしばし沈黙に包まれる。 さきほどまでのはしゃぎようからは一転し、今の慶喜はただ静かに眼下に広がる夜景を見つめている。だがそんな慶喜を、直弼もまた何も言わず穏やかな表情で見つめていた。 やがて、観覧車が頂上を過ぎて下降を始めようかというところで、ふとその動きを止めた。けれどもそれを、彼らはどちらも予め分かっていたかのように動じることはなかった。 それから、慶喜は窓の外に向けていた目線をゆっくりと正面に戻す。 目の前には、相変わらず直弼が微笑みすら浮かべながら存在していた。 「…なおすけ、」 慶喜がその名を呟く。今はもう、この世にはいないはずの彼の名を。 「はい、慶喜様」 すると、まるで生前幾度となく繰り返したのと同じように、彼の唇がその名を紡ぐ。慶喜は、思わずその場で立ち上がると直弼の方へと一歩足を踏み出す。その拍子にゴンドラがぐらりと揺れて、反動でそちらへ倒れこむ形になる。そんな慶喜を、直弼が静かに受け止めた。 その腕の中に支えられながら、慶喜はようやく意を決したように静かに伏せていた顔を上げた。見上げた視線の先には、直弼が未だ変わらずそこにいる。そのことに、ひどく安堵した。 「直弼」 もう一度、もはや今日何度目になるかわからないその名を呼ぶ。逢えなくなってしまってから、今日までの分を埋めるかのように、何度も。直弼。 この夢をみせてくれていたのは、お前だったの? 言葉にならない、そんな感情をぶつける自分を肯定するかのように、目の前の男がそっとその手のひらで頭を撫でた。 その瞳を覗き込んだ瞬間、慶喜は確信してしまう。 あのとき、ここから目が合ったのはたしかに直弼その人だった。彼は、生前はもとよりこうしてその死後も、自分に夢を見続けさせようとしてくれたのか。 けれど。 「貴方はもう、夢から醒めないと」 子供の時間は、いずれ終わりがくるから。 そう、大人の姿をした男が言う。 ああそうかと、その優しい手のひらと表情を見つめながら思う。まるで、幼子を見守るかのような。彼はずっと、そうして自分を護っていたのだ。自分だって本当は全然大人になりきれてなどいないのに。それでも、やはり彼はどうしたってもう大人になってしまっている。片や自分は、これまではずっと子供のままだったのだ。どれだけ周囲に、もう子供ではないなどと虚勢を張っていたとしても。そしてそれに気付いてしまったから、もはや自分は子供ですらいられないのだ。 「…直弼」 最後に、慶喜はもう一度だけその名前を呼ぶ。それはさよならと、それからありがとうを込めたものだった。 * 「…、ヨッシー!」 大きく肩を揺さぶられて、ようやく目を覚ます。 慶喜が意識を取り戻すと、いつの間にか心配そうにこちらを見下ろす龍馬たちに取り囲まれていた。どうやら自分は、観覧車の中で気を失ってしまっていたらしい。 「大丈夫か?」 抱き起こされながら、慶喜はふと、自分がいつしか泣いてしまっていることに気が付いた。それを目にした龍馬たちが思わず驚きながら矢継ぎ早に声を掛けてくるが、慶喜はややあって彼らを安心させるかのように「…大丈夫」と、静かに目元を拭いながら答えた。 夢から醒めただけだから。 子供でなくなってしまった少年は、そう言ってただ笑ってみせた。 |
さよならネバーランド
(慶喜と直弼/20150301)