夕暮れ時の商店街には、買い物帰りの主婦やら会社帰りのサラリーマンやら学校帰りの学生やら、とにかく色んな人間が平行に、或いは交差しながら行き交っていた。その目指す場所はそれぞれ違えども、彼らは皆どこかへ帰って行くという、それだけは共通事項である筈で。
そんな町並みを路地裏から首だけを覗かせて伺いつつ、丹波鉄男は彼らとは違い、まだ一向にここから帰れそうもない自らの不運な境遇とそれを照らし合わせ思わず溜息を漏らした。
「ふー…」
指に挟んで口から外した煙草の先から、ふと煙が立ち上る。
すると、
「こらテツ」
「あ?」
鉄男に向かい、不意に横から掛かった声の主は彼自身もよく知る人物。
「タバコの吸殻を落とすな。マナーがなっちょらんぞ」
「…じゃああんたもあんパンの食べカスぼろぼろ零んじゃねえよ。汚ぇな」
鉄男は自分の隣に止めてあった自転車のサドルに腰を下ろしつつ、あんパンを頬張る少女に呆れた口調でそう返した。すると、少女はいかにも心外だという表情を浮かべ
「何言うちょる。このほっぺたに少し食べかすを付けておくのが、女子の可愛さをより一層引き立てるんじゃ」
「――そんな可愛さはまとめてドブにでも捨てちまえ」
即行で突っ込んでおいて、鉄男は再び大きく溜息を吐いた。
それから改めて、鉄男はまじまじと少女の姿を見返した。彼女は尚もパン屑と小豆(おそらくあんパンの中身は粒餡だったのだろう)を口の周りに付けたまま、手にしたあんパンを一心に頬張っていた。その振る舞いといい、何よりも少女のその幼い出で立ちからして完全に見た目はただのガキにしか見えないが、これが実はあの宮本武蔵を屠ったほどの実力を持つ我が天使連盟屈指の猛者であり、尚且つ自分自身の上司であるなどとは、よもや誰も思いはすまい。
だがこの少女、黒鉄美咲が鉄男の所属する送迎部第21班通称「たんぽぽ組」の班長であるのは紛う事なき真実である。
「ホント、よくこんなのが班長になんてなれたもんだ…」
少女に聞こえぬよう、小声でこっそりと呟いた鉄男だったが、
「もやしのような足の女に脚力負けとるヤサ男に言われとうないわ」
「悪かったな!ていうかあんたの脚力が普通じゃねえんだよ!あとどんだけ地獄耳なんだよあんたの耳は」
耳聡く聞きつけた美咲にあっさりと痛い所を突かれて、鉄男は反射的に大声で切り返したあと、これまでで一番大きな溜息を吐き出した。
「チッ…ったく。こーなりゃもうとっと終わらせて…」
「あっ」
そのとき、路地裏から通りを眺めていた美咲が目を見開いて声を上げた。
「見つけたのか!?」
鉄男が慌てて懐から銃を取り出しながら振り返ると
「イトーココノカドーでプリンが半額…コレは帰りに寄って帰らんといけんのぅ」
その視線の先には、電柱に貼り付けてあったチラシを真剣に眺めつつ唸る美咲の姿があった。
鉄男は、自分の胸の内から沸々と何かが込み上げてくるのを感じながら、ゆっくりと彼女の近くまで歩み寄ると腹の底から怒鳴り散らした。「あんたなぁ、ちったあ真面目に仕事しろや!大体なんなんだよその商標ギリギリな店舗名はよォ!」
だが当然、美咲はそんな鉄男の形相など意にも介さず
「仕方なかろう、半額じゃぞ半額。しかもプリンが。というか、店舗名は別にわしのせいじゃなか。作者のナンセンスが原因じゃ」
「んな事は別にどーでもいいんだよ…」
って、話題振ったのは俺か。
鉄男は肩を落としつつもふとそんなことを思ったが、とりあえず今はわざと黙っておいた。そして未だチラシを眺めながら半額プリンへと思いを馳せているであろう少女の姿に思わず頭を抱えつつ、ついには「なんだってこんな班長に当たっちまったんだ俺は…」などと漏らす。すると、
「なんじゃったら、変わってみるか?」
「あ?」
そこで不意に美咲が放った一言に鉄男は眉を顰めた。
「異動願いでも何でも、上と掛け合うてみたらええじゃろ。もしかしたら運良く通るかもしれんぞ」
冗談なのか、はたまた本気で言っているのか判別のつかぬ表情で、美咲は鉄男の方をまっすぐに見ながらそう言った。
鉄男は、しばしそんな美咲をまじまじと見つめた。
やがて彼は、もはや今日これで何度目になるかわからない溜息をついたのち、呆れた口調で「あんたみてーな班長とやってけるのなんて、俺くらいしかいねえだろーが」と何の迷いもなく返す。
鉄男のその言葉に、今度は美咲が彼の方をまじまじと見つめ返した。それから彼女は、何を思ったのかふと鉄男から視線を外して顔を伏せた。そんな美咲の様子を、鉄男が不思議そうに伺っていると、ややあってから彼女はゆっくりと顔を上げて
「自惚れんなヤサ男」
間髪入れずに言い放った美咲の表情は、限りなく冷淡なものだった。
「わしゃお前なんぞおらんくても十分やってけるわ。大体、万年仏頂面で愛想も金も無ー男にとやかく言われる筋合いは無か。人の事心配する前にまず自分の事ば気にせんか」
このガキ…。
頬を引きつらせ、思わず鉄男が胸中でそう呟いた瞬間、
「…しかしまあ、」ふと、それを見計らったかのように美咲が口を開いた。
「お前みたいなヤツの班長が務まるのは、せいぜいわしくらいのもんじゃけー。ま・仕方は無いがこれからも面倒みてやるきに、感謝せいよ」
笑みを浮かべてそう言ってのけた少女に、鉄男はしばし、呆気に取られたような表情を浮かべていた。それからやがて、彼は不満げにも満足げにもどちらにでも取れるような、なんとも言えない笑みを口元に忍ばせながら
「…へっ、言ってろよ」
目の前の少女に向かい、悪態を吐くようないつもの声でそう言ってやった。

「あっ!テツ、今のが探しとったヤツじゃないき?」
「お?今度は本当に見付けたのか」
美咲の声に鉄男が通りの向こうへと目をやると、たしかに道の向こうを行くその姿は二人が今朝からここで探していた霊によく似ていた。どうやらようやく、二人の張った網に獲物が掛かってくれたらしい。
鉄男は一度仕舞い込んだ銃を改めて握りなおすと、傍らに佇む少女に向かい
「よし、そんじゃさっさと片付けるとするか。行くぞ、班長」
「うむ」
声を掛け、止めて置いた自転車に跨ると、美咲が後ろに乗り彼の背に手を置いたのを確認してから、鉄男は勢い込んでペダルを踏む足に力を入れた。
そして今日も、路地裏からたんぽぽ組の天使二人が出勤する。


路地裏にて
(鉄男と美咲/20070513)



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