その山の中にある鉱山の廃墟で、まるで瓦礫に守られるかのように取り囲まれながら、今まさに彼は眠りに就こうとしていた。
空は暗かった。しかし周囲に乗り捨てられたままの重機(大方工事の途中で放置されたままになっているのだろう)や、そういった現場の残骸らしきものの様子を充分肉眼で確認出来るくらいには明るかった。何故だろうとふとその場を見上げてみると、あっさり理由は判明した。そこにはたくさんの星々が(きっと何億光年も遠く離れた場所で輝くものさえ)隙間なく空を埋め尽くすように彼らを見下ろしていたからだった。今がはたして昼なのか夜なのか、判別がつかなく思えるような不思議な光景だった。太陽は見当たらないけれど、同時に、よく見慣れた月だってどこかに姿を隠してしまっていた。そこには、ただ無数の光があるばかり。あるいは目で直接見ることの出来ない星なんかも、おそらく中には含まれているだろう。これとよく似た光景を、自分は昔どこかで目にしたことがあった気がした。でもそれがいつであったのか、彼女はうまく思い出せない。
彼女の目の前で瞼を閉じている、まだこどものままの姿かたちをした彼の息遣いはとても静かで、しかしどこか力強いものであった。たしかに彼は生きているのだ、と。ずっしりとした重みのある両腕を広げ、胸が微かに上下し続ける。そしてほんの少しだけ開かれた小さな赤い唇からは、絶えず吐息が漏れている。生きるための呼吸。それを彼女はとてもいとおしく思った。彼がここへやって来たときから響いているその音は、そう。まさしく心臓の鼓動する音のようだ。大きな地響きのようなそれは、あるいは大地そのものの心音なのかもしれないし、もしくは星たちのものであったのか。誰のものなのかわからない音は、それでも途切れることなく続いている。生きているということを、彼女へ伝えようとしているみたいに。
「バル、」
髪とおなじ、金色の長い睫に縁どられた白い瞼がゆっくりと開かれ、その奥に隠されていた瞳がそれをとらえる。夜明け前の空のような、深い海の底のようなブルーに内包されている様々な想いを込めて、繰り返しその名前を呼んだ。指先を伸ばして、熱を持ったその身体に触れる。もしそのまま抱き寄せれば、その小さな身体はすっぽりと収まってしまうだろう。なのに、彼女よりずっと彼は大人なのだ。
蒼い瞳が、ふと少しだけ悲しげに揺れた。何故だか泣きたくなって、吐き出してしまいたくて、でもこの胸の震えを悟られたくなくて、強く胸に抱く。こんなとき、例えば二人が本当の親子であったなら、もしくは恋人か何かであったならば、彼女は別れのさびしさに素直に身をまかせて涙を流してしまえるのに。彼はただ静かに息をして、たぶんきっと、最後はゆっくりとその瞼を下ろすだけなのだ。
(最後までなにも言わないんだな)
彼女にとって彼は、重機士(ナイト)であるのと同時にかつて幼い頃に淡い恋心を抱いた相手で、また大人であり子供でもある。その全てだった。けれども、彼女が繋ぎとめるべき彼はもういない。今この瞬間、彼女は彼に繋がっているのだ。宇宙にばらばらに散らばる星の光が、応じるように瞬いている。それでももう一度、誰にも気づかれないくらい優しく彼が笑うので、彼女もつられて笑いそうになるのに、なんだか涙が出た。薔薇色をしたその頬を、あたたかな感触が伝う。
バルは人間のようで、星のようで、およそその全てだった。
たとえ損なわれることがあったとしても、心音や、瞳の色や、体温、におい。それらはすべて失われはしない。だから、そんなに悲しまないでいられる。
「――おやすみ、バル」
そして彼は、ようやく本格的に眠り始める。彼女は最後にもう一度その身体にそっと手を触れ、柔らかな黒の髪の中に顔を埋め、じっと耳をそばだてた。
あたりには星の鼓動する音が、ずっと響き続けている。彼がいつか夢からさめるその日を、あるいはそれらは見守っているのかもしれない。


there's no end
(姫とバル/20091101)



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