彼に出会うまでの自分は、今よりもずっと孤独だった。そんな自分に負けてなるもんかと気合を張っていても、いつも心のどこかにさみしさが募っていた。 だから、 「なんであたしは救ってくれないのよ!」 初めて彼に出会ったとき、彼女は咄嗟に叫んでいた。 「なんであたしにはパパもママもいないの?どーしてあたしはこんなボロ寺でお金に困りながら生活してなくちゃなんないのよ!」 我慢しきれず、気付けばそう口走っていた。 なぜ。どうして。 それはずっと、幼い頃から彼女が繰り返し胸に抱き続けていた想いだった。 親を失い、すがるあて無く、孤独の無明を彷徨う哀しみ。 友のいない夜の、いつ終わるとも知れぬ寒さ。 見守る者の眼差しにすら気付けず、憎しみと苛立ちの茨を、ただ、ただ小さなはだしで歩き続ける痛み。 思えば、勢い余ったとはいえ酷いことを言ってしまったものだ。その日の夜に感じた苛立ちは、決して彼に対してだけではなく、そんな自分自身に対するものでもあった。 あのとき、そんな自分を傍で見ていたあの心優しい住職は、どんな顔をしていたんだろう。わかっていたはずなのに。彼が、血の繋がらない彼女をどれだけ慈しみ、愛していてくれたか。そんな後悔があとからあとから押し寄せて、結局その夜はなかなか眠ることが出来なかった。 そんな彼女に、翌朝彼はこう言ったのだ。 「わかるか?要は考え方次第ってことだよ」 そのときは、正直彼の言いたいことはさっぱりわからなかった。やっぱりうさんくさい、そんな印象は増すばかりだった。けれど。 彼は、本当に仏様だったのだ。 自分たちばかりでなく、そんな自分たちに危害を加えようとした相手の地上げ屋たちまで改心させ、文字通りもれなく救ってしまった。そこで、彼女にもようやく彼の言っていたことの意味がわかった。たしかに、自分には他のみんなと違って本当の両親がいない。でも、 「そのおかげで、こんなに優しいおじいちゃんに育ててもらえたの!」 そう。彼の言う『考え方次第』とは、こういうことだったのかと。 それが、二人の出会いだった。 その後、悟りへと至る苦しい旅路の中で、何度もくじけそうになった彼女にも、彼はそのたびに手を差し伸べてくれた。一つの手で足りなければ、それこそ千の手でもって。 「大丈夫だよ」 そう言って、常に傍らで何度も励ましてくれた。時には共に悩み、苦しみながら、長い長いインドへの道のりを歩み、多くの仲間と多くの仏の信頼を得て、やがて彼女は仏理を悟るに至った。 そんな彼女が、ガンダーラの長となり「もれなく衆生を救う」ためにインドで日々を過ごしていたときのことだった。 彼女は、とある一人の少年の存在を知ることになる。 そしてそれが、彼女にとって全ての始まりだった。 サティが囁く。 「シャーマンファイトにくるのよね」 仲間たちの力を借り、徐々に明らかになっていく『彼』の肖像。ただただ、魂の清算のために、千年前から転生を繰り返し、未来王を名乗り、万象の終焉を宣ずる少年。この星で最も研ぎ澄まされた存在。しかし同時に、それは最も測り難い悪意の結晶だという現実。 そんな話を聞けば聞くほど、サティの心には一つの決意が生まれていく。 ――会いにいこう。 そう、思った。 だって、彼女は知っていたから。少年が抱えているであろう孤独を。その哀しみを。そして痛みを。 これこそが、己に課された試練であるならば、自分は… 「そうだね」 そんな彼女へ、ゆっくりと、だが確かな肯きが返ってくる。そして傍らの持ち霊は、サティにこう言うのだ。「大丈夫だよ」と。 いつも、自分の一番近くにいてくれた、かけがえのない存在が教えてくれたこと。それは、 どんなに遠くても、 どんなに深くても、 どんなに辛くても、 手を伸ばす事を絶対にあきらめないこと。「今度は、私が救う番よ」 「ガンダーラはシャーマンファイトに参戦します」 仲間たちの前でサティがそう宣言したとき、果たして彼らのうちの何人が、その時点で彼女の真意を正確に理解出来ただろうか。ただ、少なくとも彼女とともに旅を続けてきた者たちには分かっていた。 サティが、決してシャーマンキングにはなるつもりがないということ。 ガンダーラはあくまでも中庸。無論、その気になれば彼らが優勝するのは、決して容易くはなくとも不可能なことではない。けれど、彼女の目的はあくまでも「すべての衆生をもれなく救う事」。ゆえに、彼女に近しい仲間たちは確信した。 サティが、果たして『誰』を救おうとしているのか。それは、ともすればシャーマンキングに即位するよりも遙かに険しい試練。 こうして、星の万霊を滅ぼさんとする史上最凶の悪意を救うべく、彼らに下された啓示『救済』ミッションが始まったのだった。 * アメリカL・A某所。 今日は久々に客人が訪れる予定なので、彼女は珍しく仕事も休み、朝から自宅にいた。多忙な実業家でもある彼女は、いつもならば都心にあるオフィスにいることの方が多いのだが、今日は特別だ。何せ、今日遊びに来るのは…。 そこでちょうど、カンコーンと訪問を告げるチャイムが鳴り渡り、彼女が急いで扉を開くと。 「こんにちは、アンナちゃん」 そこには、にっこり微笑む女性の姿。「久しぶりね、サッちゃん」 アンナも同じように応じた。 「ま、立ち話もなんだし、上がりなさいよ」言って、中に招き入れる。 「なんか飲む?」 「あ、じゃああたし緑茶か梅昆布茶で」 「…アメリカまで来てソレ?まあ、あなたらしいっちゃあなたらしいけどね」 それに、実をいうとアンナもコーヒーよりはそっちの方が好きなのだ。折角なので、とっておきの南部せんべいも一緒に棚から取り出す。懐かしの故郷の味と、久しぶりの再会に、なんだかあの頃に戻ったみたいだと二人は思う。 「でも、本当に久しぶりね」 「そうね。まああなたは普段はインド、あたしはあれ以来もうずっとこっちだし」 「今、仕事の方は忙しくないの?」 「ええ。ああいうのは、一旦軌道に乗りさえすればあとはもうこっちがある程度放っておいたって勝手に廻るものだから」 もちろん、そこへいきつくまでには相当な労力を要するのだが、そこはさすがはアンナ。そのあたりは無論、そつなくきっちりこなしているらしい。 「そういうサッちゃんの方こそ。何かまた大変そうなことやろうとしてるみたいじゃない?」 そもそも、今回サティがわざわざこうして渡米して来た目的というのが、それだ。 シャーマンファイト。500年に一度開催されるという、星の王を決める争い。 最初、サティからガンダーラも参戦する、という話を聞かされたときは、アンナも驚いたものだが。その後、彼女がわざわざこの戦いに身を投じた理由を知り、アンナはようやくそのことを理解した。同時に、サティらしいな、とも思った。 「ってゆーか、いいの?こんな時期に一人で出歩いてて」 「それは平気。あたしだって何も、四六時中ガンダーラのリーダーやってるってわけじゃあないし。プライベートな時間は必要よ」 言って、片目を瞑ってみせるサティ。今日だって、いつもとは違い随分ラフな格好だ。普段着と呼べるような、簡素な花柄のワンピース。さすがに、昔みたいなつぎはぎ入りではないけれど。そんなサティを、アンナはちょっと呆れたような、それでいてどこか微笑ましいような表情で見やる。 「それに…」 そこで、サティは不意に呟く。 「久しぶりに、大事な友だちに会いに来れたんだもの」 せっかくだし、水入らず二人きりで会いたいじゃない?なんて。 まるで、ともすれば恋人同士みたいにも聞こえるような口ぶりで。 それにはさすがのアンナも少々照れくさくなってきたのか、思わず話を逸らす。「あっ…ああ、そういえば、ついさっきちょうど貴方たちと同じ目的で、ここを尋ねてきたやつがいてね」 「へえ?」 正確にいえば、やって来たのはあくまでもその使いだったのだが。 「あたしが昔世話になってた旅館、覚えてる?」 「ああ、安井旅館だっけ?あたしたちも泊めてもらった」 「そこの本館のオーナーの孫ってのが、サッちゃんと同じのに参加してるらしいわ」 それは初耳だった。まあ、アンナ自身がイタコというれっきとしたシャーマンであるからして、考えてみれば、その彼女の知り合いがこの大会に参加していたとしても別段何もおかしな話ではない。 「で、あたしのちょうど後輩の妹弟子に当たる娘が、なんでもその孫の許婚らしくってね。そいつに届け物があるからって、そのあとを追って彼女たちもこっちに来るから、ちょっとその手引きをしてやってくれって依頼されてたってワケ」 なるほど。そういうことかとサティは得心する。サティたちガンダーラも、今回の渡米に際してアンナにはいくつかの協力を仰いでいた。特にパッチ村の場所に関しては、ガンダーラといえどなかなか正確な情報を掴むことが難しく、アンナの果たしてくれた功績というのは大きい。此度のサティの訪問も、そんなアンナに改めてお礼を告げる目的もあってのことだった。しかしながら、アンナは「別に、そんなのはついでだから気にしなくったって構わないわよ」と軽く受け流したのちに、ふとしみじみそんなサティを見つめながら 「けど、さすがよねえ。あたしにはとても真似出来ないわ」 たった一人を救うために、わざわざこんなところまで。しかも、その相手は恐らくいま、この地上で最も手ごわいと思われる存在。アンナが、たまらず心底感心したようにそう言うので 「ふふふ、そんなことないわよ」 サティは軽く首を横に振った。 「あたし一人じゃ、到底無理だったわ」 みんながいてくれたから。 穏やかに笑うサティ。その姿は、まさしく慈愛の象徴。けれど、どこからどうみても悟りきったようにしかみえないそんな笑顔が、決して一朝一夕で身についたものではなく、ましてやその裏で、彼女がどれほどの努力を繰り返しているのかも、アンナは少なからずよく知っている。 その一方で、かつて共に旅していた頃のように自分の前では何の屈託もなく綻んだ笑みをみせてくれるサティを見ているうちに、アンナにはそれがよく分かった。 「…なんとか上手くやってるみたいね」 ほんのわずかに、安心したように囁く。 「え?」 「いーえ、別に。ところで、あの仏さまたちはみんなお元気?」 特にアシュラ様とか、と首を傾げるサティを遮るようにアンナが矢継ぎ早に質問する。それを皮切りに、サティはアンナに皆の近況を話し始めた。あれからずっと、アンナとの間では手紙などを通じたやりとりは絶えず続いていたものの、こうして直に会って話し合うのは本当に久しぶりのことだった。そんな二人で話が盛り上がらないわけがなく、またその話題も多岐に及ぶこととなった。 そこで、ふと 「…そういえば」 サティが、何か思い出したようにゆっくりと切り出す。 「覚えてる?あたしたちが初めて会ったときのこと」 それはさきほど話題にも出た、かつての旅の途中でサティとその仲間たちが、アンナの働く宿に泊めてもらったときのこと。その夜、二人は旅館の温泉に一緒に浸かった。 「あー、あったわね。そんなこと」 それがどうかした?と尋ねるアンナに 「うん。あたしね、あのときも言ったけれど、それまであんなふうに話せる友達って廻りにいなかったし、ましてや同じくらいの年の女の子と一緒にお風呂に入るのって初めてで…」 サティは、本当に懐かしそうに次々と語る。「それでね、あのときアンナちゃんにああ言われて、それってほんとにすごく素敵なことだなあと思ったの」 かつて、本当の両親がいないことをどう思うか問い掛けた彼女に対し、アンナが返した答えは 「どう思うも何も、私だって両親のかおなんて知らないから思いようがないわよ」 あっけらかんとした様子でそう述べたアンナは、続けてこう言った。「だから私はいつか必ず捜しあててみせるわ」と。 一方、サティからそんな話を聞かされたアンナは、思わず目を丸くする。実をいうと、彼女にそう言われるまで、自分ではそんな話をしたことすら忘れかけていたのだ。にも関わらず、サティはそんなアンナに向かって、更にこう告げる。 「だからね、あたしも会いに行こうって」 そう、思ったの。 「…あっそ」 本当に、この娘は。出逢ったころから、ちっとも変わってない。 もちろん、あの頃と比べたら見違えるほどに美しく成長したし、それは外見のみならず、まだまだ未熟だったその内面も、今やガンダーラのリーダーとして理想的な指導者ぶりを発揮するほどにまでなったけれど。本質的なところは、アンナと共に旅していた頃と同じ。 思い出す。アシュラとの戦いで倒れた、今は彼女の持ち霊となった『彼』を、何日も献身的に看病し続けていたその姿を。 あのときも、純粋にすごいと感じた。それほど仲間を大切に想う彼女に、思わず感銘を覚えるほどに。一見、ごく普通の女の子にしか見えない(事実、アンナにすれば彼女は今だってそのようなものだが)少女が、果たして本当にあのミロクなのかと、目を疑ってしまいそうになったこともあるけれど。 でも、だからこそ『彼女』だったのだろう。 自分には、やはりとても真似出来ない。 アンナは再度、目の前の友人にこっそりと讃辞の入り混じった苦笑を浮かべるのだった。 その後は、二人でしばし他愛の無い会話を交わす。 「…あ、ちょっとお手洗い借りてもいいかな」 「どうぞ」 途中、サティがそう言って席を外したのちにアンナはようやく口を開く。「――いるんでしょ?そろそろ出てきたら」 アンナに促されるのを合図にして、誰もいないはずの空間にやおら姿を現わしたのは、サティの持ち霊であるダイニチだった。 「いやあ、気付かれてた?」 「当たり前でしょう?あたしを誰だと思ってんのよ」 「ごめんね、邪魔するつもりはなかったんだけど」 待ち合わせ時間になっても戻らないから、心配で。ダイニチは頬をかきつつアンナに釈明する。 「で。いざ迎えに来てみれば、二人があんまりにも楽しそうに話し込んでるもんだから、つい」 出ていくタイミングを逃していたというワケか。 「…相変わらずみたいね」 そんなダイニチに、アンナはこちらも呆れたような溜息を吐く。ただし、こちらはさきほどのサティに対するそれとは若干趣が異なる。 アンナは、もう最初からそれに気付いていた。それこそ、出逢ったその瞬間から。それは、彼らが生身の人間ではないということだけではなくて。 恐らく、サティがまだ何も知らない頃。彼女が、仏ゾーンと自ら名乗る彼らの『正体』について疑問を抱き、その度にはぐらかされていたときからずっと。 そして、 「…ねえ、わかってるとは思うけど、ああ見えてサッちゃんは、今だって本当は普通の女の子よ」 まあ、『女の子』と呼ぶにはいささか年を重ねすぎたかもしれないけれど。それでも、アンナからすればたとえ悟りを開こうが、ガンダーラのリーダーになろうが、それは出会った頃から変わらない。 それで、つい口を挟んでしまった。 「うん」 「まあ、そういうのを全部一緒に乗り越えてきたあなたたちだから、今更あたしから二人の関係に口を出したりするつもりはないけど」 ただ、そんなアンナにも、今回サティたちがやろうとしていることが、どれほど大変で、且つ危険を伴うことであるのかは分かる。 だからこれは、ただ友人の一人として。おせっかいというよりは、むしろ。 「あの娘のこと、傷つけるような真似だけはするんじゃないわよ」 「…肝に銘じておくよ」 挑戦的なアンナの眼差しを、しかしダイニチは臆することなく、いつものあの大らかな笑顔で受け止めた。それをみて、アンナもようやく少し表情を和らげる。 ――しいていうのならそれは、少し心配にも似ていて。アンナ自身は、彼女らと共に戦いに身を投じるわけではないけれど。それでも、常にお互いその身を案じている友だち同士だから。 その意を汲み取ったように、最後にひとつ頷いてみせたダイニチに、アンナも確信する。 この二人ならば、きっと。 『大丈夫だよ』 どこからともなく、そんな聞き覚えのある口癖が聴こえたような気がした。するとそこで、タイミングを見計らったかのようにようやくトイレから出てきたサティが 「あれ、ダイニチくん来てたの?!」 うっかり、待ち合わせ時間をとっくに過ぎてしまっていたことに彼女が気付くのは、そのすぐあとのことだった。 「…ねえ、そういえばさっき二人で何話してたの?」 「ん?なんでもないよ」 結局、アンナの家をあとにしてから、サティがダイニチにどれだけ尋ねても、彼は何を話していたのかを最後まで彼女に聞かせてはくれなかった。 * そしていま、サティたち二人は閻魔大王と対峙する。 ようやく、ここまで辿り着いた。けれど、これもまた一つの通過点に過ぎない。よしんばここで勝てたとしても、今度は手に入れた精霊を戦士たちに無事届けなければならない。そして届けたとしても、次に戦士たちがそれを手にあの少年に立ち向かい、その心を救えなければならない。そうでないと、これまでの多くの道のりも全てが徒労に終わってしまうことになる。 それはまるで、蜘蛛の糸のような。自分たちは、今もまさしくそんな危うい道を辿っている。 ――それでも。 「大丈夫」 いつだって、そんな彼女の傍には。「君は、僕が守るから」 最後の瞬間まで、彼がいてくれるから。 地獄であろうが、どこまでも一緒に。 君のために。貴方のために。 そして、孤独なあの人のために。 「新しい世界のために。あなたのために」 彼女は、隣に佇む彼と共に、決してあきらめることなくいつまでもその手を伸ばし続ける。 |
NIRVANA IS NOW AND HERE
(サティとダイニチ/20091230)