湖畔に腰掛け、微かに揺れる水面を見つめながら速水は「釣れませんね…」と、その日もはやこれが何度目になるか分からぬ言葉を呟く。その隣で、浜野は「あ〜そうだなあ」と生返事を返す。このやりとりも、先ほどから何度繰り返したことか。
浜野に誘われ、久しぶりの休みに遠出してまでわざわざやって来たというのに。浜野曰く、知る人ぞ知る穴場の釣りスポットなのだそうだが(実際、ここへ来てから彼らの周りには人一人現れる気配がない)その割には先ほどから二人の手にした竿の先はぴくりとも動かない。けれども、浜野はそれをさほど気にした様子もなく、さっきから同じ台詞ばかりを繰り出す速水にのんびりと相槌を打ち続けるだけだ。
そうこうしているうちに、やがて舟を漕ぐ様にうつらうつらし始めた浜野の様子を見て速水が何か声を掛けようとするが、それより先にとうとうその瞼が閉じられてしまう。そうしていつしか本格的に眠りに落ちてしまった浜野を、速水は一瞬起こそうかと迷った末に結局口を噤んだ。どうせこの様子では、このまましばらくは何も釣れそうにない。それに、自分も同じだがここ数日は特に部活でいそがしかったので、恐らく身体の方も疲れていたのだろう。速水はふと溜息を吐くと、その視線を再び水面へと向けながら改めて隣で気持ち良さそうに寝息を立てている浜野のことを考える。
そもそも、そんなに疲れているのなら大人しく家で休めばいいものを、どうして彼は今日わざわざ速水を誘ったりしたのだろう。たしかに、これまでにも何度か浜野から釣りに誘われ、それに付き合ったことはあるが、二人きりでこんな風にわざわざ遠くまでやって来たのはこれが初めてのことだった。
大体、何故自分なんだろう。浜野はああいった人柄なので他に友人も多いだろうし、速水自身は別にそこまで釣りに興味があるわけではないので、こうしてわざわざ誘ってもらったところで、結局はこんな風に二人で時折他愛もないやり取りを挟みながら、ただぼんやりと肩を並べているだけで時間が過ぎてしまう。正直、釣り好きな浜野にとってはつまらないだけなんじゃないのかと最初の内は思っていたけれど、浜野は一向に懲りた様子もなく速水へ声を掛け続けていた。
――どうして、浜野は自分なんかを選んだのだろう。
速水はこれまでずっと浜野と一緒に二人で過ごしてきて、そう思わずにはいられなかった。速水のような性格からすれば、浜野はその名が示す通りまさに海のように広く大らかな心であるのに対し、翻って自分は、折れそうに細いところが唯一鶴被りだという理由でからかわれたりすることはあれど、全然その名にすら似合わぬくらいのいじいじとしたタイプで、今のように一人思い悩んでは暗く沈んでしまう。速水自らすら、そんな自分に苛立ってしまうことがあるくらいなのに、どうして浜野は敢えてそんな自分を隣に置こうとしてくれるんだろう。
そんなことをつらつらと考えていたら、唐突にその横でかくん、と一度大きく頭を揺らした浜野が慌てて「はっ…!?」と声を上げ辺りをきょろきょろと見回しながら
「あ〜あれ、オレ寝ちまってた…?」
いやあごめんごめん〜と、のん気にとぼけた声で寝ぼけ眼のまま呟くので、速水が思わず
「そんなに疲れてるんなら、もうそろそろ切り上げて帰りましょうか?」
さっきから全然釣れないことですし…と提案すると、途端に浜野はきょとんとした様子で目を丸くしたのちに
「え、ちゅーかまだ来たばっかじゃん」
あっけらかんとそう言われて、今度は速水の方が呆気にとられる。二人がここで釣りを始めてから恐らくはかれこれ数時間は経っていると思われるのだが、浜野にとってそれはほんの僅かなものであるらしい。やはり、釣りというのは忍耐力を試されるものなんだなあなどと感心しかけた速水へ向かい
「それにさ、二人でこんな風にのんびりするの久しぶりじゃん」
だからせっかくだしもっとゆっくりしよーぜ、と笑顔で口にする。続いて
「まー寝ちまったのは悪かったけどさ。速水が隣にいるって思うと、安心してつい気が抜けちゃってさ〜」
照れ笑いを浮かべながらそんなことを言われてしまっては、速水としてはもはや何も言い返せない。
しかしながら、あまりにも素直にそう口にする浜野へ思わず
「…本当に、変わってますね浜野くんは」
と呟かずにはいられなかった。ん?何が?と首を傾げる浜野に向かい、速水は先ほど一人で考えていたようなことを口にする。すると浜野は
「…んー、でもオレ、何でか速水の隣でないと落ち着かないんだよね」
だからついつい、いつも気付けば速水の傍に行ってしまうのだと。まるで野良猫に釣った魚を毎日あげていたときみたいに。しかしその例えにはさすがに「えええ、よりにもよって猫ですかあ…」と速水は思わず不満げな声を上げてしまうが、なるほどようやく納得がいった。
すると、まるでそのタイミングを見計らったかのように浜野の手にした竿の先がぴくりと反応する。「あ、」
気付いた浜野が慌てて竿を引くと、糸の先にはようやく小さな魚が一匹だけ食いついていた。


さらさら
(浜野と速水/20130921)



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