疲れた身体を引きずって、久々に懐かしい日本の自宅に帰ってみれば、そこには何故か先客がいたので染岡は驚いた。
「あ、おかえり〜」
一体どうやって中に入ったのか、リビングのソファーでくつろいでいた吹雪が暢気に声を掛けてくる。
「お前…何でここにいるんだ?」
「染岡くんこそ、帰国したんならちゃんと知らせといてくれないと」
染岡の質問には答えず、これまた勝手に冷蔵庫から取り出したのであろう酒瓶を片手に、吹雪は言う。
「あ、ちなみにここの鍵は、以前染岡くんが酔っ払ってたときにこっそりちょろまかして合鍵を作っておきました」
「どや顔でさらっと口にするな」
さらりと犯罪まがいの行為を口にする吹雪に、染岡は頭を抱える。しかしまあ、吹雪のこの程度の行動はもはや日常茶飯事なので、今更騒ぎ立てる気も起きないが。
「そういやお前、まだこっちにいたんだな。てっきり北海道に帰ったのかと思ってたんだが」
「ん、まだちょっと野暮用が残っててね」
「野暮用…?」
「大したことじゃないよ」
とりあえず上着を脱いでシャツのボタンを緩めつつ尋ねる染岡に、吹雪は手元のリモコンでテレビを点けながら適当に相槌を打つ。その様子から、吹雪が今はまだその話について語るつもりのないことを察したのか「はあ…まあ、それならそれで構わねえけど」と染岡は軽く受け流す。これが十年前ならば、相手に詰め寄ってでも白状させようとしていたかもしれないが、さすがにもう吹雪とも長い付き合いなので、その辺りに関しては、染岡もこの頃はいちいち干渉しないようになっていた。まあ、今回染岡が一時的に帰国した理由や、ここ最近の吹雪やかつての仲間たちが起こしている一連の行動などからも、ある程度察しはつく部分も多々あることだし。恐らくは、吹雪の言う『野暮用』とやらもそれ関連だろう。そして吹雪自身がそう言うのならば、今はまだ、自分の出る幕ではないのだろう。もし本当に染岡の手助けが必要であるのならば、そのときは向こうから言ってくるのを待てばいい。元来世話焼きな気質で、むしろお節介気味なところすらある染岡だが、吹雪に関してはそういう意味でいちいち心配する時期はもはや通り過ぎた。色々あったしなあ…と思わず回想に浸りかけた染岡へ
「けどこうして二人で会うのも久しぶりだねえ」
染岡くんがイタリアへ発つ前に会ったきりだっけ?と吹雪が問う。
「あ〜そうだっけ?」
染岡は自分の分の飲み物を手に吹雪の隣に腰を下ろす。
「あっちでも随分活躍してるみたいだね」
「そういうお前こそ、こっちで風丸と派手にやってるみたいじゃねえか」
まあ今は一時的に選手としての活動は休止し、母校の白恋でコーチを引き受けているらしいが。しかしながら、あの吹雪がコーチをやっていると聞いたときは驚いたものだが。ただ一方そういう染岡も、イタリアで出会った雷門の後輩相手に、コーチどころか師匠を買って出たりもしていたのだけれど。
「えー、別にそうでもないよ。たしかに風丸くんは最近すごい人気だけどさ」
「雑誌には、お前と風丸で今やプロリーグの女性人気を二分してるとか書いてあったぞ」
「ああいうのはいちいち大袈裟なんだよ」
吹雪は手馴れた様子で聞き流しているが、実際のところ雑誌の方がかなり事実を突いているのだろうと染岡は思っている。
「染岡くんだって、あっちでも今やかなり名の知れた日本人プレイヤーの一人だって聞いたよ。最近じゃ試合のたびに歓声が上がるとかで」
しかも主に男性の…と付け加えた吹雪へ、染岡は何故か少し遠い目をしながら
「まあ…それは間違っちゃいねえな」と呟く。
「…相変わらずなんだね」
そういえば日本にいたころから、染岡は特に男性のファンからの人気が高かった。吹雪と一緒に試合に出ると特にその傾向は顕著で、吹雪への黄色い歓声に対し染岡へはやたらと野太い声援が飛ぶことが多かった。
「そうか…でもそれじゃますます心配だなあ」
不意に顔を曇らせる吹雪に「何がだ?」と首を傾げる。
「染岡くんが、あっちで飢えた伊達男共に食われちゃうんじゃないかという危惧が俄かに現実味を帯びてきたから」
「おい」
流れるように口にする吹雪へ思わずツッコむ。さては平然としているがもうかなり酔ってるな?
「だって、やっぱり日本よりはあっちの方がそういうのもお盛んなんでしょう?」
「…否定しきれるほどはそういった事情に関しちゃ詳しくはねえけど、少なくともオレに関してはその手の話とは一切無縁だ」
だからそういう余計な心配(?)はするなと訴える染岡にも、吹雪は尚も渋い顔で
「ほら〜そうやって本人の自覚が薄い上、ただでさえ警戒心ないんだしもうほんと格好の獲物だよね…国内なら僕の力でどうとでもなるけど、さすがに海外まではフォローしきれないんだからほんと充分気をつけてよね?一応鬼道くんや不動くんには万一に備えてお願いしてはあるものの」
「ちょっと待て、オレの知らないうちにあいつらに何変なこと頼んでやがる」
自分の与り知らないところで勝手に周りを巻き込んでいる吹雪を前に、染岡は頭が痛くなってきた。
「大体さあ、その白スーツはなんなの?イタリアデビューの一環にしたってあまりにもハマり過ぎてるし、その上黒サングラスとかもうどこからどうみたってついにほんとのマフィアになっちゃったんだって勘違いするファンが出てきてもおかしくないよ?」
「どういうファン層だそれは!?っていうかどうせソレお前のことだろ」
しかしながら、実際一部の芸能関係の報道ではそういったネタもあったことを染岡は知らない。
「第一そんな雪原みたいに真っ白いスーツだなんて色んな汚れが目立ってしょうがないじゃないか!トマトソースのパスタを食べるときはどうしたらいいんだい!?」
「突然変なキレ方すんな!あとパスタはとりあえずナプキンでもつけときゃいいだろ」
脈絡のない吹雪の発言にも律儀に返事をしてやる染岡だった。
「っつうか、スーツは必要に駆られてって部分がでかいんだよ。あっちじゃ見た目で判断されるから、スーツみたいなある程度まともな格好してねえと、店とか入ったときにロクでもない席に通されたりとかすんだよ」
ちなみにこの手の知識は鬼道から教わった。最初は半信半疑だった染岡だが、実際に住んでみてそういった一面がたしかにあることはよくわかった。もっとも、それも慣れてしまえば却って分かり易いというか、もともと白黒はっきりしている方が性に合っている染岡としては、次第に別段気にならなくなっていたが。
「へ〜、そうなんだ。ちなみに、そのスーツを仕立ててくれたのも鬼道くんなの?」
「いや、これは自前だけど」
感心したのちにそう尋ねた吹雪は、だが何故か染岡からの答えに「ああ…やっぱりね」という表情を浮かべた。染岡は何だか釈然としない気分を味わう。
「まあ、スーツに関してはそれでいいとして…じゃあ、ほんとに向こうでその手の浮いた話とかって、今のところ一切縁無いの?」
「だから最初っからそう言ってるだろうが」
何だか遠まわしな嫌味のようにも聞こえつつも、染岡は吐き捨てるように述べる。「大体、生活に慣れるのとサッカーで正直それどころじゃねえっつうの」
言い訳のような、半ば愚痴みたいに零す染岡に吹雪は「ああ、でも染岡くんらしいね」と途端に機嫌を良くする。
「けど、そういいつつも染岡くんて、ある日突然週刊誌とかで熱愛報道とかスッパ抜かれてそうな気もするね。どっかの女子アナ辺りとかと」
そこでいきなり、やたらとリアルな予想をかましてくる吹雪に染岡も思わず
「いや、そりゃお前の方だろ…つうか実際、女子アナどころかタレントにもお前のファン多いらしいじゃねえか」
日本にいたころからしょっちゅうそういう報道を目にしたにも関わらず、吹雪の方もこれまでのところはそういった話題とは無縁のようであった。その当の本人はあっけらかんと
「でも僕、テレビとか実はあんまり観ないし」
あと万一そういう事態になっても、僕はたぶん上手くやるよ〜などと気楽に言ってのける。そうだなそういやコイツはこういうヤツだった…と染岡は肩を落とす。
「でも、いい年したいい男が二人揃ってこうしてだらだらとお酒呑んでるだけっていうのも、世間一般からすればわびしいものなのかなあ」
「何だ、今度は自虐か?」
「ん〜別に僕はこのままでも充分楽しいけど…」
それから、吹雪は思わせぶりにちらりと染岡へ視線を這わす。
「せっかくだし、もっと他のこともする?」
「他のこと?」
「セックスとか」
吹雪がそう口にした瞬間、染岡が堪らず口にしていた酒ごと盛大に噴出した。咳き込む染岡へ吹雪はその背中を摩りつつ
「大丈夫?どっか変なところに入っちゃったのかな」
「お前が変なこと言い出すからだろうが!」
「変かな?」
声を荒げる染岡にも、吹雪は淡々と続ける。「いや、久しぶりの再会だし、もう夜だし、お酒も入ってるし、何か今なら流れでそういう展開もありかなあと」
「いやいやなしだろ」
即座に否定する染岡へ、しかし吹雪は尚も食い下がる。
「でもさっきの話を聞く限り、染岡くん最近はそっち方面に関してもご無沙汰みたいだし。僕でよければいくらでもお相手するよ?」
「丁重にお断りします」
膝に手を置き頭まで下げる染岡にも
「そんな遠慮しなくったっていいのに。別にこれが初めてなわけじゃなし」
「いちいち口に出すなそういうことを」
吹雪に言われ、染岡の脳裏に出来ればあまり思い出したくないいくつかの思い出が蘇る。
「でも、あのときは本当に染岡くん危なかったよね〜色んな意味で」
「…そうだな、お前危うく熊殺しじゃなく人殺しになるところだったもんな」
なるべくその話は避けたい染岡だったが、吹雪の言い様についそう口を挟めば
「ふふ、若さって恐いよね…今思えばかなり無茶なことも平気でやっちゃえるし」
と、吹雪も十年前のことを思い返しながら呟く。
「たしかにあの頃はまだお互い未熟だったけど、もともと僕ってDFもFWもこなせるくらい器用だから、今じゃテクニックの方だって結構ちょっとしたもんなんだよ?幸い今日はずっとここに引きこもってたから、まだGPもTPも有り余ってるし」
「だったら今すぐ外出て走り回って、ついでにシュートでも何でも5、6発程打ってこい」
もはや完全に面白がっている吹雪にも、まともに応じてしまう染岡。
「え〜、いちいちそんなことしなくても、今ここで一発やればすむだけの話だよ。運動にもなるし」
「そう言えば何でも許されると思うなよ!?十年前ならいざ知らず、もうその手には引っかからねーぞ」
一向に折れる気配の無い染岡に、吹雪はちょっと残念そうに「うーん、またとないチャンスだったんだけどな〜…やっぱもうちょっと酔わせてからにすればよかったかな」
と、またもやさらりと染岡の背筋を凍らせるような台詞を呟く。
「けどま、いっか」
久しぶりに会えただけでも充分嬉しかったしね、と今度はあっさり態度を翻し、急にしおらしいことを言ってくるので染岡は面食らってしまう。
「あ、でもまたもしその気になったらゆってね?」
しかし吹雪はそこでちゃっかり念を押してくるのは忘れない。「別にそんな深く考えなくても、単にムラムラしてるの解消したいときとかでもいいからさ」
そう、吹雪にすれば敢えて気軽さを装って口にした途端、何故か染岡が顔をしかめる。
「…いや、それじゃもっとよくねーだろ」
「へ?」
「冗談は抜きにしても、お前はオレにとって大事なやつなんだし、そういうのに巻き込むのはしたくねえ」
真顔でとんでもないことを口にする染岡に、吹雪はたまらず絶句した。そして思わずその場で悶絶しながら肩を震わせ、両手で赤面してしまった顔を覆う。人のことをさんざん酔っ払い扱いしておいて、自分だって相当酔いが回ってるんじゃないか。
「はあ〜、あーもう…ほんと、もう、ああ…」
「さっきからなんなんだお前は」
言葉にならない呻き声を上げる吹雪の様子を、染岡が不審そうに見ている。やがて、吹雪はそろそろと伏せていた顔を上げながら
「とりあえず、そういうのは今度からちゃんと事前に予告してから発言して下さい。でないとこっちも心の準備とか何も出来てないからね?あとなんで現実には常にふぁぼ機能が備わっていないんだろうつらい」
「どうでもいいが後半日本語になってねえぞ」
「いいや、とりあえず今のだけでも手打ちでツイートしておこう」
言って唐突に携帯を取り出す吹雪を「オイやめろ!」と染岡が制止する。
「ああ大丈夫だよ、こっちは身内しかフォローしてない鍵付のアカウントだから」
「尚のことタチが悪いだろそれ!」
深夜のアパートの一室に、染岡の怒号が谺した。


シロクマ
(吹雪と染岡/20120212)



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