「あー…すっかり秋だな」
一斉に赤や黄色など、鮮やかに色づいた並木道を歩きながら葉がふとそんな言葉を漏らした。それから、隣に並んで歩くアンナに向かい
「落葉舞う散歩道、二人で歩くのも久しぶりだなあアンナ」
「そうね葉」
いつかどこかで交わしたようなやり取りを繰り広げる二人。だがすぐに「けど」とアンナが口を開き
「今は『二人』じゃないわ」
「あ・そっか」
訂正されて、ようやくその間違いに気付く。葉は、未だ覚束無い足取りで二人に手を引かれながら、その間をよちよちと歩いていた息子の身体をやおら抱き上げると
「そうだな、お前のこと忘れちゃ父ちゃん失格だよな」
なあ花、と息子の名を呼びながら、高い高いをするようにその身体を両手で何度も宙に浮かせてやると、面白かったのか途端にきゃっきゃと歓声を上げて喜ぶ。
「おー楽しいか。じゃあもっとやってやろ〜」
そう言って、彩り豊かな落ち葉の降りしきる中、葉はしばし花と遊んでやる。その度に、花は嬉しそうに何度もはしゃいだ声を上げる。そうして二人が戯れる様子を、アンナが一歩引いた辺りから静かに見守っていた。
ところが、微笑ましいその光景が目の前で繰り広げられる最中に、唐突にアンナは葉のその姿が一瞬かき消えたように見えて慌てて目を瞠った。それは一瞬の幻のようなものであったが、それでも確かに、アンナの目にはそのビジョンが今でもはっきりと明確に残像として記憶に残っている。刹那、えもいわれぬ不安に襲われたアンナは咄嗟に葉の背中に向かって飛びついた。それまで花をあやしていた葉は、突然後ろから抱きついてきたアンナにやや驚きつつ、肩越しに振り返ると
「…どした?アンナ」
気遣うように、優しくそっとそう尋ねる。けれども、アンナはその肩に顔を埋めたまま
「…あんたが、どっかいっちゃいそうで」
ただそれだけを囁くと、その存在を今一度強く求めるかのように、手により一層痛いくらいの力を込める。そうしていないと、まるで胸が締め付けられるといわんばかりに。
「…」
葉は、そんなアンナの方を、しばし無言で見つめ続けたのち「――何言ってんだよ。どこにもいきやしねえさ」
言って、小さい子をあやす様にその掌で彼女の背中を摩りながら
「ここにおるよ」
それから、その頭をよしよしと撫でる。まるで、さっきまで花にしていたのと同じように。アンナがそんなふうに思っていたら
「まるでコドモがもう一人増えたみたいだなあ」
葉の方も似たようなことを思ったのか、いつもののんびりとした口調でそんなふうに言われた。だが、そのような無邪気な言葉にすら何故だかアンナは泣きそうになってしまう。すると、そんなアンナを葉の腕に抱かれた花がいつしか心配そうに覗き込んでいた。アンナはようやくそれにハッと気付くと、慌てて
「…ごめんね、花」
だいじょうぶよ、と。葉から手渡された花をきつく抱きしめながら、その顔に自分の頬を摺り寄せる。
そんな二人を、葉はしばらくの間穏やかな眼差しで見守っていたが、やがてその視線をどこか遠くへと彷徨わせる。宙を漂うその瞳は、ひどく虚ろなものだった。まるで、そこにはもはや何も無いのだとでも断言するかのごとく。葉は今、アンナたちには決して見ることの出来ない『何処か』を見つめている。そしてそこへ囚われてしまいそうになっている。無意識のうちに。
そうして、いつか攫われていってしまうのではないかと。そんな怖さを抱かせるような雰囲気が、今の葉には在った。
そこで不意に、アンナは腕の中の花としばし顔を見合わせた。彼もまた、自分と同じ思いを感じ取ったのかまるで同意を示すかのようにこちらを見つめ返してきた。
そしてこのとき、アンナは葉についてゆくことを決心したのだった。
それは、葉が心配であることよりも、何より自分をしっかりと見返し続ける花のその強い瞳を見て「ああ…この子は大丈夫だ」と。そう、確信したからに他ならなかった。それを肯定するように、赤々と熟れた果実のように燃え盛る夕陽の中で、花が笑ったように見えた。
だから、アンナは決めた。今はただ、明日に向かって突き進むことを。それは、花が生まれて最初に迎えた秋の出来事だった。


夕陽が笑う、君も笑う
(葉とアンナ/20061001)



inserted by FC2 system