食堂の壁に掛けられた時計の針が刻一刻と時を刻む中、窓際の席を陣取った五人の内今一番追い詰められているハーノインが、もはやそちらを自ら確認する勇気すらなく呟く。
「…あと何分残ってる?」
「もうとっくに三十分は切ったな」
すぐさまイクスアインがそう教えてやると、堪らず机の上に突っ伏した。もう駄目だ間に合わない…と絶望に浸りきった様子を浮かべるハーノインへ「潔く諦めたら?」と、まるで他人事のようにクーフィアが気楽に言い放つ。まあ実際彼にとっては他人事なのだが。
「いや、仮に間に合わないとしてもせめて最後まで人事は尽くすべきだ。お前の努力は先生にもきっと伝わるだろう」
一見、友人を必死に励ましてくれているかのような発言だが、ハーノインは知っている。イクスアインがここまで言い切るのは、全てはこの課題の提出先が彼の尊敬してやまない『あの』カインであるが故なのだということを。
「大体、今になってそんなに焦るぐらいならばどうしてもっと早くから取り掛かっておかなかったんだ」
もっともな意見だが、今一番聞かされたくない正論を唱えられた上「私なんて、課題を出された次の日にはもう完成させていたぞ」などと自信満々に言われてしまい、そんな酔狂な奴はお前ぐらいだよ…と、ハーノインはもはや突っ込みを入れる気力すら失っていた。
「けどさあ、今回の課題ってちょっと変だったよねえ」
そこで、暇を持て余しつつあったクーフィアがふと口にする。普段はハーノインとあまり変わらないような状況に陥ることの多い彼は、しかし今回持ち前の要領の良さで珍しく課題をすませておいたのだ。
「ああ…たしかにそうだな」と、それまで自分の手元のノートに目をやっていたアードライが同意する。彼もまた、既に提出すべき分のレポートは全て書き終えているが、今はその内容と誤字脱字等がないか最後の確認をしていた。几帳面な彼らしい行動だ。
「そう!せめて問題集とかだったらまだそのまま回答写すとか出来たのによ〜」
そこで堪らず口を挟んできたハーノインへ「おい!」とすかさずイクスアインが抗議の声を上げる。不正行為だぞと口にする彼を「いいじゃないか、どうせ今回はそんなの到底無理なんだし」と、もはや投げやりな気持ちになってきたハーノインが適当にあしらう。
「多世界解釈――パラレルワールドか」
表紙に書かれたその文字を指でなぞりながら、アードライが誰ともなしに呟く。
「量子力学に基づいた世界観の一つ。コペンハーゲン解釈の世界観を粒子の観測者にまで拡大し、観測とは無関係に、世界すべてがあらゆる状態の重ね合わせであるとする解釈だ」
エルエルフは、そのあとを引き継ぐような形で淡々といつものように口にする。
「量子力学自体は、素粒子や原子、分子等の微視的な世界の物理現象を扱う理論体系だ。そこから鑑みるに、一応広義の意味では物理学に属すると言えなくもないが、まあおかしなテーマなのは事実だな」
正直、そんな専門的な話は殆ど理解出来ない高校生の彼らからすれば、パラレルワールドだなんてそれこそアニメやゲームの中の話みたいだ。そんな中でただ一人、イクスアインだけは「だからこそ素晴らしいんじゃないか」と恍惚とした表情で語る。
「一般的な物理学にとどまらず、そういった我々世代も興味を抱き易そうな分野の課題を与えることで、より一層知識を深めるよう教授し導いて下さるその手腕…」
さすがだ…と感嘆する彼を一同はまたいつものが始まったとばかりにハイハイと軽く受け流しながら
「けど、それにしたってあまりにも漠然とし過ぎてるだろ。正直こんなの、どこから手をつければいいのかすらさっぱりなんだけど」
机の上に積み上げられた様々な専門書のうちのいくつかを指でつまみながら、ハーノインが肩を落とす。それこそもっと具体的に、もしもこういう世界だったら自分はどうするかといったような、そういった分かり易い例でもあれば話は別だったが。
「だったらさ、それこそ自分で何か考えてみればいいんじゃないの?」
そこで、クーフィアがおもむろにそんな提案をしてみせる。
「たとえばハーノだったら、どんな世界がいいの?」
「へっ、俺? うーんそうだな…」
突然話を振られて、彼は改めて腕組みしながら考える。咄嗟にぱっと思いついたのは、近未来のSF的な世界観だった。明らかについこないだ観たばかりの某アニメーションの影響を受けまくっているが、やはり男子としては、ああいった人型の巨大ロボットを一度は操縦してみたいという憧れを抱いたことぐらいあるだろう。
あ、分かる分かる〜とクーフィアがまずその話題にノってきた。
「僕もさあ、一度でいいからああいうのに乗って色んなもの心おきなく壊しまくってみたいんだよねえ」
常日頃から、ゲームなどでそういった鬱憤を散々晴らしまくっているクーフィアが言うといやに説得力がある。それから、
「でも、正義の味方っていうより俺はその敵役みたいな方がいいな」
どちらかといえば、主人公側よりもそのライバル的ポジションの方につい肩入れしてしまうことの多いハーノインがそう口にする。それに演じるのも悪役の方が面白いって話もよく聞くしな、などと言えば「そういったダークヒーローに憧れるのもいかにもって感じがするけどね…」何気なくクーフィアが口にしたそんな一言に、何故か全員で納得してしまった。
「あと大抵その手の主人公は巨大な悪の組織と戦うのが定番だから、そうなると僕らがそっち側の立ち位置になるってこと?」
あー、たしかにそうなるなあ…などと、皆で更にその妄想――もはや全員、当初の課題のことなどすっかり忘れかけていた――を膨らませていく。「やっぱ、ベタだけど軍とかかな」
ハーノインがそう言うなり、あ〜似合いそうだよね、などとクーフィアが頷く。アードライとか、軍服滅茶苦茶似合いそう…でも中身は一番軍人向いてなさそうだけどね〜と続ければ、言われた本人だけは「そうか?」と首を傾げている。
「あ、でもアードライはそれこそ本物の王子様でいいんじゃない?」
「でもそれって主人公側っぽくないか」
「いやいや、そこを敢えて敵側に据えるというのが渋いんだろう」
何だか皆が勝手に自分をネタの肴にやたらと盛り上がっているが、当の本人は呆気に取られた様子でそれを見ていることしか出来ない。
「あとは死に際なんかも大事だよね」
「死ぬの前提かよ…」
「まあしかし、SF作品でキャラクターが最後次々と死んでいく展開はある意味お約束だからな」
そうしていつの間にか、話がそれぞれの死亡フラグの立ち易さといった話題に及んでいく。
「クーフィアの場合、真っ先に死ぬか最後まで粘って生き残るかのどっちかじゃないか?」
「そういうハーノは途中であっさりフラグ立ててそのままフェードアウトしそうなパターンだよね」
所詮は全てが机上の空論なので、もう言いたい放題である。
「イクスも最期に友の仇!とかってラスボスに突っ込んで尊い犠牲になるのとか似合いそう」
「おい待て、どうして私がハーノの仇をとって死ななければならないんだ」
「あ、俺が死ぬのはもう決定事項なのね…」
そこはさらりと流されながら
「アードライはさあ、一番危なっかしいようで実は最後まで生き残れるタイプと見た」
「たしかに、こいつは意外としぶといからな」
納得するように頷いた彼自身へは
「そういうエルエルフって、途中一人だけ寝返って暴走とかしそうだよね…」
その、根拠がなくもない推論に思わず本人以外の全員がああ…と深く頷いてしまう。一人解せないといった表情を浮かべている彼へ、でも一人で主役は無理かもしれないけどW主演の準主役とかならこの中で一番なれそうだよねと、慰めているんだかよく分からないフォローまで入れられてしまう。

「――で、何の話だっけ?」
話題が一段落着いたところで、ふとようやく我に返ったハーノインが口にするも
「へ? もし僕らがSF世界で悪役やってたら、どういう末路を辿ってたかって話でしょ」
「正直どれも碌な展開じゃなかったがな」
「要するに、今居るこの世界の平和が一番ということか」
最後、そう言ってアードライが何やら奇麗にまとめようとするが
「いやいやいや、全然上手く〆れてないから! 結局俺の課題全然終わってないし」
そこでようやくハーノインが、残された最後の貴重な時間を無駄な雑談だけで消費してしまったことに気付いた瞬間、それを悔やむ間もなく無常にも昼休みの終わりを告げる鐘の音が辺りに響き渡った。


青春生き残りゲーム
(学パロ特務大尉/20140503)



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