窓の外に広がる夕暮れを背に、リーゼロッテは手にした本を静かに閉じた。下校時刻が差し迫る中、もうこの図書館に残っているのは自分と、そんな彼女を迎えに来たエルエルフだけのようだ。
ゆっくりとこちらへ近づいて来るエルエルフへ、リーゼロッテは伏せていた顔を上げて改めて手にした本を読み上げる。
「観察者がいる世界から、過去のある時点で分岐して併存するとされる世界。並行宇宙。…パラレルワールドって、奥が深いんですね」
改めて感心したように呟いたリーゼロッテは、どうやら最近ずっとその手の書物を読み漁っていたようだ。自分も例の課題の為にいくつか専門書を借りて一通り目を通しはしたが、エルエルフは正直なところ、理論そのものはどうにか理解出来ても結局は「だからどうした?」という感情しか浮かばなかった。それが現実に本当に存在するかどうかはともかく、今彼らが生きているのはあくまでもこの世界でしかない。あるのかどうかすら分からないそんな別の世界のことをいくら考えたところで、所詮は全部絵空事でしかない。さきほどまで、友人たちとそれについて話していたときも最後にはそんな結論に落ち着いたではないか。
ただ――そこでほんの少しだけ、エルエルフの胸に微かな不安にも似た疑念が湧き起こる。彼らはあくまでも『今』のこの世界の方が現実だと思っているけれど――それは、果たして本当に『そう』なのだろうか?
実際は、自分たちが存在しているこちらの世界も、そのようにいくつも並列する様々な世界のうちのひとつであり、別の世界ではそれこそさっき皆で想像したような、殺伐とした環境に身を置いている可能性もある。そしてそこでは、それこそ彼らは或いは互いの命を奪い合っているのかもしれない。自分と彼女も、今みたいに一緒には居られないかもしれない。
誰にも話したことはないが、エルエルフは昔から何度かそういった内容の夢をみたことがある。いちいち細いところまではあまり覚えていない。ただ、いつも目が覚めたあとで最悪な気分に陥るのだけははっきりしていた。特に、彼女と出逢ってからはその頻度が増したような気がする。
――たぶん、自分はそれを恐れているのだ。
エルエルフは、その夢でリーゼロッテの存在を幾度と無く失っていた。他にもそこでは色んなものを失ったけれど、中でも何度繰り返しても彼女を救うことが出来ないというその事実は彼を打ち拉いだ。
だからだろうか、エルエルフにはどうしてもその可能性を心から否定出来ないのだ。いつか、彼女が本当に自分の目の前から消えてしまうのではないかと。本人の前では絶対に口にすることはないけれど。

すると不意に、リーゼロッテが改めて口を開いた。
「でも、もし本当にそんな風にして他にも色んな世界が同時に存在しているのだとしたら、そこでの私たちは一体どんな運命を辿っているんでしょうね」
まるで、エルエルフの考えを見透かしていたかのような発言に思わず息を呑むが、彼女はそれには気付く様子もなく淡々と続ける。
「それこそ、生まれ育った国も、立場も、或いは性別すら全然違っているかもしれない」
ひょっとしたら、人間ですらなかったりして…なんて、無邪気なままさらりととんでもないことまで口にするも、何となくエルエルフはリーゼロッテならばそれすらあり得るのではないかとも思ってしまう。そう思わされてしまうくらいには、エルエルフにとって未だにリーゼロッテはある意味で不思議な存在だった。
初めて出逢ったときから、自分は彼女に惹かれた。今からすれば、一目惚れのようなものだったのかもしれないけれど、今となってはそれもよく分からない。気がついたときにはもう、いつのまにか恋に落ちていた。愛だの恋だの、自分はそういった感情とは恐らく無縁だと思い込んでいたので、正直自覚した際は彼自身驚いた。自分が、彼女を愛してしまったのだと。
ただ、一度それに気付いてしまったからには、エルエルフは何としてでもそれを手に入れたいと願った。同時に、今度こそ守らなければという決意にも近しい想いを密かに胸に抱いた。一体何故、これほどまでに自分は『何』から『誰』を守ろうとしているんだろう?それはたぶん永遠に分からないかもしれないけれど、何かに追い立てられるようなその感情は、今になっても自分の中で完全に拭い去ることが出来ずにいた。
一方で、リーゼロッテは当初彼のことを拒絶した。…いや、それは拒絶というよりはむしろ、エルエルフ自身のことを気遣ってのことであった。
――自分は、貴方と一緒に居るべきではない。
その隣に立つべき相手として相応しくはないと、最初そう言われたときは完全に振られたのだと思ったが、のちに彼女が何故そのように話したのか、その真の訳を知った上でも尚気持ちが変わらなかった彼に、とうとう彼女の方が折れるような形になった。ただし、そう思っているのは実はエルエルフだけで、リーゼロッテの方はまた違った解釈をしていたのだけれども。 そういった経緯からか、エルエルフは今も尚自分が彼女に比べて器というか、そもそも次元が違っているかのような錯覚を起こすことがある。たとえば二人でこうして話していると、まるで母親が子供を諭しているのを眺めているような気持ちになったり、同い年でありながら自分の方がただの小童であるかのようにすら感じてしまうことがある。リーゼロッテにはそういう、どこか達観しているかの如く思わせるような雰囲気があった。悟っているとでもいうのか。見た目はごく普通の少女でありながら、その実何百年も生きているのではないかと思わせるような。自分はたしかに彼女のことを好きだけれども、時々そんなリーゼロッテを、まるで人間離れした存在であるかのように感じることがある。
もっとも、自分はそういう部分を含め全部合わせてリーゼロッテなのだと思っているし、たとえ仮にさっき彼女が口にしたように人間ですらなかったとしても、やっぱり自分は彼女を愛し続けていたんじゃないだろうか。そんなものは知ったことかと、言い切ってしまえるぐらいには壮絶な片想いを経てきたという自負はある。友人からはそれを執念と称され心を抉られもしたが、まあようするに舐めるなと言いたいわけで。ただ、直接それを口にしてしまうような勇気はさすがにまだないけれども。

そんなエルエルフの心境を知ってから知らずが、そこで唐突にリーゼロッテの方から
「けれどもまあ、それならそれで別に構わないのかもしれませんね」
え? と思わず虚をつかれたエルエルフへ、リーゼロッテは笑いながら口ずさむ。
「たとえ他の世界では叶わなくても、少なくとも今私たちはこうして一緒にいられるのだから」
それにもし、本当にそうなってしまったときはまた改めて二人でどうすればいいか考えればいいだろうと。
そう言われて、ようやく安心したかのようにエルエルフが笑みを浮かべたので、リーゼロッテも微笑み返した。そこで更に彼女の方から「今日は久しぶりに手を繋いで帰りましょうか?」と提案してみるも、案の定あからさまに動揺しているエルエルフに、リーゼロッテが内心やっぱり若いなあなどと思っているとは、本人だけは恐らく夢にも思わぬことだろう。


青春生き残りゲーム
(学パロエルリゼ/20140503)



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